Erich Hatala Matthes著「Drawing the Line: What to Do With the Work of Immoral Artists from Museums to the Movies」

Drawing the Line

Erich Hatala Matthes著「Drawing the Line: What to Do With the Work of Immoral Artists from Museums to the Movies

俳優や作家から音楽家・画家まで、倫理的に問題のある言動をする、あるいはしていたアーティストの作品にわたしたちがどう向き合うべきなのか論じる哲学の本。アーティストの倫理的問題と作品は関係ないとする主張やそれと逆に問題のあるアーティストをキャンセルする動き、さらにはそれを「キャンセルカルチャー」として非難する立場など、シンプルな結論を導き出す議論を哲学的な手法で崩し、非倫理的なアーティストやアートについての丁寧な個別的議論を進める。(個々の告発については加害者として名指しされた側が否定しているケースもあるが、その事実関係については論じず、「批判された通りの非倫理的行為があったと仮定したうえで」議論をしている。)

著者は長年ウディ・アレンのファンで、かれがコメディックに演じる冴えないけれども憎めないキャラクターを好んでいた。アレンが監督・出演する映画では、かれが演じる男性はよく年下の女性と恋に落ちる。ところが当時4歳だった養子の子に対して性的虐待をはたらいたとしてアレンが告発され、また別の養子とも親として接しながら性的関係を持ち彼女が成人したあとで結婚したことも報道されたことで、著者は自分が大好きだったアレンのコメディで笑えなくなってしまった。この場合アレンが演じる「年下の女性と恋におちる年上の男性」というキャラクターとかれの非倫理的行為は直接繋がっていると同時に、自分の地位を濫用して自分より弱い人を傷つけたり搾取するという実情は弱いものの立場に立つかれが演じるキャラクターを裏切っており、それらが重なってアレンの映画に対する美的評価自体が変化してしまっている。

もちろんアーティストの非倫理的行為がアートの評価とは結びつかない場合もあるし、逆にアートそのものに非倫理的な主張や描写が肯定的あるいは非批評的に含まれているものもある。また非倫理的行為といってもアーティストが特定の個人に対して性虐待など暴力的行為をはたらいた場合と、特定のマイノリティ集団に対する差別的な発言をした場合とでは、特定の具体的な被害者の有無や被害の深刻さの点でまったく同じではない。一般消費者の側の対応も、それは非倫理的な行為がもたらした被害に対する妥当な反応かという判断とともに、その対応の目的と効果も考慮に入れる必要がある。

MeToo運動による告発が有効だったのは、単なる差別的な失言に対する批判ではなく、具体的な被害者のいる行為についての告発であり、なおかつ業界内で力のある人たちがその権力を利用して性暴力をはたらき、また責任追及を逃れてきたから。すなわち、かれらをその特権的な地位から追いやることが、被害者の告発を真剣に受け止めることだけでなく、直接将来の被害の予防と結びついていた。それに対して、差別的な失言やあるいは失言ですらない本気の差別発言への告発では、一般人のアカウントが突如炎上して職や住居を失う危険がある一方、ほんとうに力のある人たちはあまり地位を追われることはない。ソーシャルメディアなどを通した分散型の責任追及は「有力者による権力を利用した性暴力」のように司法制度など既存の制度が不十分な場合に効果を持つことがあり得るが、本来ならば司法制度をより有効にするなり業界内で暴力を許さない文化を育むなり、制度的に対処するほうが公平で弊害も少ない。

本書ではほかにも、非倫理的な行為を行ったアーティストのアートに対してわたしたちはどう感じるのか、そしてどう感じるべきか、それらを社会はどう扱うべきか、非倫理的なアートからアーティストが利益や評判を得ることに対して社会はどう対処すべきか、非倫理的アーティストはボイコットするべきかどうか、そしてその理由は、など、さまざまな疑問に対して議論を重ねている。複雑な内容なのでここで簡単に紹介することはできないけれども、短めな本なのに豊富な実例(R.ケリー、J.K.ローリング、マイケル・ジャクソン、H.P.ラヴクラフトなど多数)を挙げて興味深い議論が展開されている良い本。