Geena Rocero著「Horse Barbie: A Memoir」

Horse Barbie

Geena Rocero著「Horse Barbie: A Memoir

フィリピン出身でアメリカでモデルとして成功したあとトランスジェンダー女性としてカミングアウトしてセンセーションを巻き起こした活動家の自叙伝。

著者は幼いころから男らしくない男の子として他の子どもに石を投げられるなどいじめられていたが、フィリピンでエンターテインメントとして人気のトランス女性向けミスコンテストの出演者たちに憧れる。フィリピンでは伝統的に男女二元制の外側により柔軟なジェンダーカテゴリがあったが、三百年に及ぶスペイン植民地主義とカトリック化によってそれが抑圧され、それを引き継いた百年間のアメリカ植民地主義によってミスコンテストを含む商業的エンターテインメントが導入されると、それらが複雑に混ぜり合った結果、ゲイやトランスジェンダーの権利は認められないままトランス女性向けのミスコンテストだけは一般的なエンターテインメントとして全国に広まり、そういった表現を禁止しているはずのカトリックの末端の教会や自治体までもが大小さまざまなコンテストを毎週のように開催していた。

知り合いから非正規に女性ホルモンを入手する方法を知った著者はある日、そうしたミスコンテストの賞金で生計を立てるファミリーに見出され、ファミリー内のメイクアップアーティストに化粧をほどこされ慣れない衣装やハイヒールでステージに立たされる。スペインとアメリカがもたらしたカラーイズムの影響でフィリピンでは肌が白いほど美しいとされているなか、ほかの参加者より肌の色が濃いことが不利に働いていたはずのに初挑戦で好成績を収め、そこから彼女は多数のコンテストで無双、ある時ついに全国規模の大きな大会に優勝する。その大会の過去の優勝者はエンターテイナーとして日本に渡って各地で興行することでフィリピンに家を買えるほど稼いでいた。

自分もそれに続き貧しい家族を支えようと思った著者だったが、ちょうどそのタイミングで、先にアメリカに移住していた母親から彼女のアメリカ永住権が認められたことを告げられる。アメリカにも同様のコンテストはあるけれど、それは各地でクィアコミュニティが毎年一回開催するといった規模であり、家を買うお金どころか生活するだけの賞金を稼ぐことも難しい。フィリピンや日本であと数年は稼ぎたい、という彼女は母に「アメリカに来ればあなたは法的に名前を変えることができる、法律上も女性になれる」と説得され、サンフランシスコ行きを決意する。

サンフランシスコ郊外に住んでいた母は、著者に生活費を稼ぐためにアルバイトをしいずれは多くのフィリピン人移民と同じように看護学校に通い看護師を目指すよう勧めるが、彼女はミスコンテストの伝手で先にアメリカに移住していたフィリピン人同胞のトランス女性に会いに行く。すぐにサンフランシスコのテンダーロイン地区にあるトランス女性が集まるクラブに連れ出されるとともに、ほかにも多くのフィリピン人トランス女性が働くメイシーズ(デパート)の化粧品売り場での仕事を紹介される。コンテストは諦めたもののデパートの化粧品売り場ならグラマラスな仕事として満足できると思った彼女はそこで働き、仕事が終わったあとはクラブで踊り、トランス女性が好きなシス男性と出会う毎日。お金持ちのシス男性の一人がお金を出したことで、彼女は母親とともにタイを訪れ、性別再判定手術を受けることになる。そしてさらに、職場で働いているときにモデルになるようスカウトされ、ニューヨークへ。

著者はモデルとしてさまざまな雑誌や広告に採用されるが、トランスジェンダーである事実は隠したまま。ジョン・レジェンドのミュージックビデオに参加したり、こともあろうにメイシーズのサンフランシスコ店の広告にモデルとして出ることになるなど、モデルとして成功を収めるとともに、大きな仕事があるたびにトランスジェンダーであることを隠してモデルとして活動していることがいつスクープされるかと怯える日々を送る。ある時はほかの男性有名人のゴシップ記事にその男性が興味を示した「美しいモデル」として名前が載るなどニアミスも。フィリピンではひとたびステージを離れると嫌がらせを受けることが多く、法的に名前も性別も変えられなかったけれど、少なくとも自分を隠す必要はなかったし、秘密が暴露されてメディアに追い回され仕事も名声も一気に失う不安に駆られることはなかった。権利はないけど自由があったフィリピンと、権利はあっても自由がないアメリカ、という対比。

彼女はしかし、何度か拒絶されたり怖い経験をしたあと、ついに自分を理解して受け入れてくれるパートナーと出会い、またフィリピン文化やスピリチュアリティへの理解を深めることを通し、自分を偽ることはもうやめようと決意。2014年にTEDトークではじめて公に自分の過去を明かすという衝撃的なスピーチを行うと、さまざまなメディアでインタビューに答え、また各地のプライドイベントなどで発言する。広告など一般的なモデルの仕事は減ったもののトランスジェンダーであることを明かして活動しているモデルとしてストーリー性を込みで採用してくれる雑誌の仕事などが舞い込み、またホワイトハウスや国連など公的な場所に呼ばれてスピーチすることも増えた。ごく最近にはコロナ禍においてフィリピン人移民たちが医療従事者やその他のフロントライン・ワーカーとして果たした貢献と犠牲についてのテレビ向けミニシリーズ(第一話にシアトルの有名パフォーマー、アレクシス・マニラさんが出演している!)を製作するという映像作家としての仕事も。

正直、彼女のストーリーは苦悩や不安を描写しつつも客観的に見て何もかもうまく行き過ぎていて、いやいやいくらなんでもそんな簡単な話じゃないでしょ、って思うんだけど(だって手術を受けた次のシーンですぐに出会い系で男性を漁って初のPIVセックスを行ってオーガズムに感動してるくらいだもの)、大筋事実なのは確かだろうし、波乱の人生の各段階をそれぞれ自分にとって必要なステップだったという形で次々に見せてくれるのは魅力的。あのとき自分の成功のピークだと思っていたジョン・レジェンドのミュージックビデオをカミングアウト後に見たら、そこには自分に自信を持てず自分を表現するのではなくどう他人に期待されるセクシーな女性を演じるのか必死になっている自分が写っていた、というエピソードはとても感慨深い。

フィリピンのトランス女性たち、あるいはアメリカのフィリピン系移民たちの支え合いがすごく素敵だし、とにかくおもしろかった。とくに意識したわけではないけど(出版社は絶対意識している)プライド月間のはじめに読むのにふさわしい本。