E. Glen Weyl, Audrey Tang, & ⿻ Community著「Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy」
台湾の初代デジタル相オードリー・タンがマイクロソフト研究所のリサーチャーと組み、GitHubを使って全世界のユーザたちとコラボレーションして書いた、デジタル・デモクラシーについての本。タンさんの講演がシアトルであったので当日に予習として急いで読んだ。全文がサイトで公開されており、コミュニティによって機械翻訳をベースとした日本語版の作成も進められている。
オードリー・タンさんはオープンソース・ソフトウェアPerl 6/Rakuの開発者として知られる技術者で、2014年に学生や市民たちが立法院(議会)を占拠したひまわり運動に参加、そこからオープンソースの思想を民主主義に適用した活動を進め、2016年に蔡英文政権が誕生すると35歳で台湾初のデジタル担当相(そしてトランスジェンダーの人として世界で初めて任命された大臣)としてデジタル民主主義プロジェクトvTaiwanの実装や、徹底的な情報公開とプライバシー保護を行いつつ市民の理解を得てテクノロジーを採用したCOVID-19やそれにまつわるデマ情報・陰謀論の封じ込めに成功するなど、とにかくすごい人。
彼女のこうした経歴や、民主主義や平等、多様性への考え方、社会的分断の癒やし方やデマ情報の対処法など、タンさん個人はめちゃくちゃ魅力的で、彼女がデジタル相として行ったことも画期的なのだけれど、残念ながら本書はその魅力を押さえつけてしまっている気がする。オープンソースで多くの人たちの知識や考えを統合してより良い本を作るというのは興味深い試みなのだけれど、GitHubを通してそれに参加できる人というのはどう考えても一般の人たちの代表であるようには思えないし、性別や年齢、教育などによる偏りも大きいはず。なによりタンさん個人の経験や思想が一番の魅力でそれが彼女の民主主義への取り組みに説得力を持たせているのに、多くの人たちの考えを取り込んでしまえば個人の魅力が消し去られてしまう。その結果、タンさんが綿密な設計のもと実際に政府のなかで実施した画期的な取り組みだけでなく、テクノロジーを使えば医療も教育も労働もなにもかも革新できる、という話になってしまっている。
タンさんがデジタル相として行ったvTaiwanの取り組みについては、選挙ではなく抽選による民主主義の導入を主張するAlexander Guerrero著「Lottocracy: Democracy Without Elections」でもその実験的な採用の例として取り上げられていた。ランダムで選ばれた市民の代表がある特定の議題(たとえばライドシェアサービスをどう規制するか)について意見を投稿し、ほかの参加者たちと交流することでコンセンサスを築き上げていく仕組みがあるが、党派的な対立を深めたり個人的な攻撃の応酬を起こさず参加者たちが歩み寄るよれるようにするにはどのようにシステムを設計すればいいのか、という話など、とても興味深い。同じネット空間でのコミュニケーションといっても、エンゲージメントを増やしより多くの広告を見せることを目的として設計されたソーシャルメディア・プラットフォームと、議論によるコンセンサス形成と社会的信頼の醸成を目的として設計されるデジタル民主主義プラットフォームでは、まったく異なる結果となる。
ところでタンさんの講演会では、スマホを通して聴衆が質問をし、より支持者の多い質問が実際にタンさんに投げかけられる仕組みが採用されていたのだが、シアトルの聴衆がもっとも彼女に聞きたがっていたのは「台湾に比べて政府に対する信頼が低く、また社会的分断が激しいアメリカで、対立を和らげデマ情報を駆逐する方法はあるのか」というものだった。しかしひまわり運動が起きた当時の台湾では政府への信頼は底をついていただけでなく、台湾の国際的地位をどうするのかを巡る深い対立があり、中国(中華人民共和国)によるフェイク情報の拡散を含む政治介入を受けていた台湾は、ある意味アメリカより切実に社会分断やデマ情報の蔓延に脅かされている。アメリカ人の多くが思うほど台湾社会は同質性が高いわけではないことをタンさんは説明していたが、だからこそ台湾の経験はアメリカにとってとても参考になると思う。いまタンさんはTikTokを買収してオープンなソーシャルメディアにしようという計画にも参加していて、これからも台湾だけでなく世界的に活躍していきそう。