Daryl Joji Maeda著「Like Water: A Cultural History of Bruce Lee」

Like Water

Daryl Joji Maeda著「Like Water: A Cultural History of Bruce Lee

来年で若くして亡くなってから50年を迎える武道家・俳優ブルース・リーについての、アジア系アメリカ人研究をしている著者による本。単なる伝記にとどまらず、香港とアメリカ西海岸における植民地主義やアジア人排斥と抵抗の歴史を踏まえたうえで、アメリカを興行中の両親のもとにサンフランシスコで生まれ香港で育ちシアトルで頭角を現したハイブリッドな武道家であるブルース・リーがどのように位置づけられるのか、さまざまな流派を学ぶとともにワシントン大学で哲学を勉強した(中退した」けど)かれがどのようにして自身の哲学を築いたのか掘り下げられている良著。

わたしはシアトルに住んでいて、ブルース・リーが地元のヒーローの一人として崇められていること、かれのお墓がシアトルにあることは知っていたけれども、かれの人となりや作品はよく知らなかった(かれの映画を観るより、のちに作られたほかの映画のネタ元になっている、みたいな感じで見聞きしたことのほうが多いくらい)のだけれど、本書でシアトルのアジア系アメリカ人の歴史、そしてそのなかでアジアのさまざまな国や地域からの移民たちがお互いに祖国から持ち寄った格闘技の伝統間の交流が果たした大きな役割について知ることができたことがとてもうれしい。わたしが知っているチャイナタウン周辺の地名やストリート名、地元シアトルで有名な歴史上のアジア系アメリカ人の人名も本書にたくさん登場し、わたしが知っているシアトルのアジア系コミュニティやその歴史のなかにブルース・リーが結びついた。

アジア系移民の歴史は植民地主義や人種差別の歴史と切り離すことができない。ブルースが育った当時の香港がイギリスの植民地だったことは言うまでもないけど、アメリカで最初にアジア系移民が増えたのはアメリカ合衆国による西方拡大(先住民の土地やメキシコ領の簒奪)と奴隷制廃止の結果必要になった安い労働力を導入するためだし、独立国だったハワイ王国を植民地化したハワイにも白人が所有するプランテーションの労働力としてアジアの人々が連れ込まれた。そうして増えた中国系・日系・沖縄系・フィリピン系などのアジア人移民たちは、労働搾取を容易にするために白人たちによって対立させられ、また19世紀後半からは中国人排斥法などの法律によってかれらの入国が厳しく制限された。そうしたアジア系移民たちが持ち込んだ格闘技のなかには、沖縄空手やヌンチャクなどもともと(島津藩の)植民地支配や圧政に対抗するために刀剣や銃を持たない民衆が生み出したものもあり、アジア系移民たちは格闘技の決闘を通してそれぞれの民族文化の優位さを競い合うとともに、お互いの技を学びあった。第二次世界大戦後は日本や朝鮮半島に駐留して現地の格闘技に触れたアメリカ人の退役軍人たちもそこに加わり、とくに厳しい差別に苦しんでいた黒人たちのあいだでアジアの格闘技が白人至上主義と戦うための武器として認識されるようになった(ブルース・リーやカンフー映画に影響を受けたWu-Tang Clanもこの流れにある)。

アジアの格闘技だけでなくモハメド・アリの映像を取り寄せてかれのボクシングの動きを取り入れるなどした武道家として注目を集めると、ハリウッド映画のスターになることを目指しす。ブルースは香港では子役として多数の作品に出演していたけれど、ハリウッドではアジア系アメリカ人は脇役としてしか採用されないという問題に直面。アジア系アメリカ人男性は優秀だけれど大人しくなよなよした性格、というハリウッドのステレオタイプに対抗して、強さと複雑さを兼ね備えた新たなアジア人男性像を提案するも、自身が考えた企画はボツに。仕方なく香港に戻って主演した映画が世界的にヒットしてはじめてアメリカ本国でも認められるようになるころには、かれは若くして急死してしまった。しかしかれの名言「水になれ」は特定の形を取らず柔軟に状況に対応しつつも硬い岩をも削るというシンボリズムから香港の民主化運動のスローガンとなり、ブラック・ライヴズ・マター運動にも影響を与えているように、かれの哲学と生き方はいまでもアジア人だけでなく不条理と戦う世界中の人たちの共感を集めている。

シアトルでは観光客向けにブルース・リーゆかりの地をめぐるツアーが組まれていて、たとえばかれが贔屓にしていたチャイニーズレストランがインターナショナルディストリクト(シアトルのチャイナタウン、日本街、リトルサイゴンを含めた地域)にいまでもあり、かれがよく注文していたメニューを頼むことができるらしい。わたし自身、これまでブルース・リーについてほとんど意識してこなかったのだけれど、シアトルのアジア系アメリカ人コミュニティで生きた先人として敬意を払うために、本書を読み終わったその日のうちにかれのお墓にお参りしてきた。

Bruce & Brandon Lee Memorial
(左がブルース・リーのお墓。右はブルース同様に武道家・俳優として活動中、撮影中の事故で1993年に亡くなった息子のブランドン・リーのお墓。)