Raekwon著「From Staircase to Stage: The Story of Raekwon and the Wu-Tang Clan」

From Staircase to Stage

Raekwon著「From Staircase to Stage: The Story of Raekwon and the Wu-Tang Clan

伝説的なヒップホップグループWu-Tang Clanの一員、Raekwonによる回顧録。個人的には、カンフー、サムライ、ニンジャといったオリエンタルなイメージを押し出しているのが苦手でわたしはあんまりWu-Tangは聴いてこなかったのだけど、今回あらためて初期の「Enter the Wu-Tang (36 Chambers)」やRaekwonのソロアルバム「Only Built 4 Cuban Linx…」など聴いたら、安っぽい音質とストリートの現実を歌ったリリックが合わさってノスタルジックにカッコいい。ステイトンアイランドの公共住宅での著者の生い立ちから麻薬の売人として活動するうちに銃撃事件に巻き込まれて負傷し、ストリートから離れるためにストリートのリアルを伝える音楽にのめり込む様子や、Wu-Tang結成から内部対立とRZAとの決裂(音楽的にもビジネス的にもRZA天才すぎるけど、一人でなんでもできちゃったせいで仲間の気持ちを思いやれなかったのかなあ)、そしてWu-Tangから離れての活動における失敗話や教訓など、とてもおもしろく読めた。BiggieやNas、Jay-Z、Dr. Dreなど大物ラッパーやプロデューサたちとの関わりも。

ストリート出身のアーティストの回顧録として普通におもしろいけど、なかでもメンバーたち(や当時の多くのニューヨークのラッパーたちに共通して)がネイション・オブ・イスラムから分派したFive Percent Nation(Nation of Gods and Earths)に傾倒してそれを音楽に取り入れたことについて、これまでより深く知れてよかった。日本でもヒップホップをやっている人がレペゼンなんちゃらとか言ってるけど、それもFive Percent Nationから生まれた言葉。Raekwonはのちにスタンダードなイスラム教に改宗しているけど(本の終盤で説明している)、ストリート時代だけでなく音楽で成功してからもいろいろ無茶やっているわりに、信仰や家族に対して真摯であろうという意思表示を感じる。ヒップホップに対するイスラム教やブラックムスリムカルチャーからの影響については、Sophia Rose Arjana著「Buying Buddha, Selling Rumi」でも触れられていた。

あとおもしろいと思ったエピソードは、Wu-Tangの成功でお金を手にした著者が、まだ公共住宅に住んでいた母親に新しい家を買って引っ越しさせた話。もともと住んでいた地域は治安が悪く良い学校もなかったため、家族を安全で豊かな地域に引っ越しさせて守りつつ弟や妹がより良い学校に通えるようにしようとしたのだけれど、いざ引っ越すと母親は友人たちから疎遠になってしまった。距離が遠くなっただけでなく、友達付き合いしていたうちの一人が「良い」地域のしかも一軒家に移り住んだことに向き合うのが辛くて来訪したくなかったのだろうと。結局母親は家にほとんど戻らずもといた地域で過ごす時間が多くなったので、著者は過ちに気づき、より近くそこまで格差のない地域に家を買い直した。Sheryll Cashin著「White Space, Black Hood」では人種間の経済格差を解消するためにゲットーに住んでいる人たちに「機会の多い地域」に引っ越す資金を援助するという施策が紹介されているが、お金で解決できない面もありそう。

ところでWu-Tangが全世界で1枚だけ製造してオークションで売ったコンセプトアルバム中のコンセプトアルバム「Once Upon a Time in Shaolin」は、重要な薬の価格を吊り上げて「世界最悪の男」と呼ばれた製薬会社経営者でヘッジファンドマネージャのマーティン・シュクレリが買ったとされていたのだけれど、シュクレリが証券詐欺の罪で逮捕されたあと、賠償金の支払いに当てるために去年の夏に連邦司法省によって競売にかけられ、NFT関連のグループが買い取ったらしい。これだけ音楽以外のジャンルの話題を呼ぶアルバムも珍しいけど(しかもほとんどの人は聴いたことがないし)、このアルバムやWu-Tangのテレビシリーズをめぐる意見の相違など最近の対立について生々しい話も。