Cheryl L. Neely著「No Human Involved: The Serial Murder of Black Women and Girls and the Deadly Cost of Police Indifference」

No Human Involved

Cheryl L. Neely著「No Human Involved: The Serial Murder of Black Women and Girls and the Deadly Cost of Police Indifference

アメリカ各地で起きている、主にホームレスだったり性労働に従事している黒人女性たちの連続殺害を「なかったこと」にしたりまともに捜査しようとしない警察と、それに対抗して捜査を求めたり次の標的になりそうな人たちに注意を呼びかける活動をしてきた人たちについての本。タイトルは「人間の被害なし」を意味するロサンゼルス警察内の隠語で、殺人事件の被害者に人間としての価値がないという意味で使われているとされる。

本書にはボストンで黒人ラディカルレズビアンフェミニストグループ、コンバヒー・リバー・コレクティブの結成のきっかけとなった1970年代の連続殺人事件をはじめ、デトロイト、シカゴ、シャーロット、ロサンゼルスなどアメリカ各地において、黒人女性たちが続けざまに行方不明になったり、遺体となってゴミ捨て場から発見されたりしたのに、警察がそれらを連続殺人事件とは受け入れず、どうせドラッグや売春に関わっていた女性がトラブルに巻き込まれて失踪したんだろうとか殺されたんだろうと言い捨て、捜査を求める遺族やその他の人たちを門前払いにして被害届けすら受け取ろうとしなかった歴史が記録されている。その中には実際にはドラッグにも売春にも関わっていない人もいたが黒人女性であるというだけで同一視され、彼女たちを殺すことをゴミ掃除や慈善行為のようにむしろ歓迎する発言も。

連続殺人の発生が知られると世間の話題となりメディアや政治家から事件を解決するようにという圧力がかかるので、警察は極力それを認めようとはしない。たとえばシカゴでは51人もの女性が同じように殺され同じように死体遺棄されていたにも関わらず連続殺人だと警察は認めようとはしなかった。仮に51人もの別個の犯罪者が同じ時期に同じ方法で黒人女性たちを殺し同じように遺体を破棄したとは考えにくいし、そのほうがよっぽど恐ろしい気もするのだけれど、警察は「彼女たちはいつ行方をくらませたり殺されたりしてもおかしくないような生き方をしていた人たちだから」と相手にしなかった。

こうした警察の姿勢に抗議する人たちは、黒人女性の殺害を無視するな、として警察が自分たちの職務を果たすよう求めるが、そういった世論が高まって警察が動いたとしても良い結果になるとは限らない。たとえばある例では、黒人女性に対する連続殺人犯として精神疾患のある黒人男性を捕まえてきて犯人しか知り得ない事実を含む自供をしたとして刑務所に送り込むも、のちにDNA検査によってその人は無実だったことが分かった。無実なのに犯人しか知り得ない事実を知っていたはずがないので、明らかに自供そのものが警察によるでっちあげなのだけど、実際に連続殺人を行っている犯人がいるのに無関係の黒人男性を捕まえて解決したふりをすることで、その男性の人生をぶち壊しにしただけでなく、黒人女性たちに対する危険を放置していたことになる。とにかくひどすぎ。

警察が自分たちに対する犯罪をきちんと捜査するよう求める動きと、そもそも警察に頼っていては問題は解決せずさらに弊害が生まれるだけだという考えが黒人コミュニティのなかでは同時に存在しているが、連続殺人事件のようなケースにおいては警察を全く介在させない解決はいまのところ現実的ではない。しかしただ警察が犯人を逮捕するよう求めるだけでは不当逮捕や拷問、証拠捏造などが起きてしまうし、保護の名目で女性たちの自由を奪うような結果も起こり得る。殺人事件を解決するよう警察に求め必要に応じて協力するとともに、自分たちでも安全を高めるための呼びかけを行ったり、警察が被害者や遺族、連続殺人の対象とされやすいホームレスの女性や性労働を行っている黒人女性たちを尊重するよう圧力をかけるコミュニティのはたらきが重要。