Charles Wilkinson著「Treaty Justice: The Northwest Tribes, the Boldt Decision, and the Recognition of Fishing Rights」

Treaty Justice

Charles Wilkinson著「Treaty Justice: The Northwest Tribes, the Boldt Decision, and the Recognition of Fishing Rights

ワシントン州における先住民の漁業権を保証した画期的な連邦地裁判決、いわゆるボルト判決から50年となる今年出版された、その歴史的背景と裁判、そしてその後の動きについてまとめた本。著者は先住民の法的権利を専門とする法学者で昨年亡くなっており、本書が遺作となる。

アメリカ合衆国の歴史は白人植民者による先住民からの簒奪と虐殺の歴史だ。西海岸に到達した開拓者たちは現在のオレゴン州・ワシントン州・アイダホ州を含むオレゴン準州を設置し、植民者によってもたらされた感染病で人口の数割を失った地元の先住民たちに戦争の脅しを背景に土地の引き渡しを強要する。やむなく先祖代々の土地を明け渡し、限られた居留地を指定された先住民たちだが、食の面でもその他の文化・宗教的な面でも自分たちの伝統的な文化を守るために必要な鮭などの魚介類を収穫する権利だけは譲らず、協定による漁業権が認められた。

しかしその後アメリカ合衆国が地続きとなる現在の48州全域を支配下におさめると、それまで認めていた先住民との協定を一方的に無視し、かれらの自治を侵害、文明化の口実のもと子どもたちを親から引き離しキリスト教に基づいた寄宿学校に強制的に収容し、先住民の言語や信仰を禁止するようになる。そういうなか、オレゴンから分離したワシントン準州、そしてワシントン州でも先住民たちとの協定は無視され、協定で認められたはずの先住民の居留地がさらに縮小され、また伝統的な漁業を行う先住民の漁師たちが逮捕されるようになった。

公民権運動を経て1970年代になると、さまざまな裁判を通して各州による先住民への協定違反を認定する判決が出るようになり、連邦政府も協定で守られているはずの先住民の漁業権を擁護するようになったが、オレゴン州やワシントン州の州政府はそれを無視して先住民の漁師たちへの弾圧を続けた。そういうなか連邦政府がワシントン州に協定遵守を求めて訴えたのが裁判官の名前をとってボルト裁判と呼ばれた裁判であり、正式にはUnited States v. Washingtonという。この裁判を通してワシントン州は先住民には漁獲量を管理する知性も能力もないとして漁業管理のためにはかれらの漁業権は認められないと主張したが、裁判官のジョージ・ボルトは協定の歴史的背景や当時の先住民たちが協定をどう理解していたか、アメリカ北西部太平洋岸の先住民たちにとって鮭がどれだけの意味を持つのかなど丁寧に調べ上げ、結論として全漁獲量の割り当てのうち半分は先住民の漁師に権利があるとした。具体的な数値を挙げて先住民の協定上の権利を認定したこの判決は画期的。

これは連邦地裁判決であり、その後巡回区控訴裁判所、そして連邦最高裁に控訴されたり、細部をめぐってまた別の裁判が起こされたりもしたが、基本的な部分についてはボルト判事の判決が維持された。また、しばらくはワシントン州では白人の漁師たちが漁獲量制限を無視して鮭を取ったり先住民の漁師の備品を破損するなどし、それらを取り締まるはずの州政府はわざと黙認したりしたが、先住民たちはワシントン大学の漁業管理の専門家らと協力して漁業管理の仕組みを作り上げていった。また最近では、日系人のボブ・ハセガワ州議会議員らによって過去に不当に逮捕された先住民漁師たちの名誉回復も進んでいる。

わたしが住む地元の、とても重要だけれどあまり知られていない先住民の法廷闘争の歴史。そしてワシントン州がほんの40-50年前までおおっぴらに進めていた(そして今でも別の形で行っている)植民地主義の事実。シアトル民みんなに勧めたい。