Bruce Schneier著「A Hacker’s Mind: How the Powerful Bend Society’s Rules, and How to Bend Them Back」

A Hacker's Mind

Bruce Schneier著「A Hacker’s Mind: How the Powerful Bend Society’s Rules, and How to Bend Them Back

著書が何冊か日本語にも翻訳されているコンピュータセキュリティ専門家がコンピュータのコードだけでなく法律や政治、市場、スポーツなどさまざまな分野で起きている「ハッキング」とその社会的影響について論じる本。

この本における「ハッキング/ハック」とは、あるシステムに対してそのコードの脆弱性を突き、そのシステムが予期しない結果を引き起こすこと。ここでいうシステムとはコンピュータのシステムに限らず、社会的な規範や常識、法や規則や慣行によって守られたあらゆる仕組みが含まれる。本のはじめに著者が例として挙げるのは、アリが巣を作る様子を観察するための子ども用の科学キット。実際のアリはキットに含まれておらず、付属する葉書を業者に送ると小さなチューブに入ったアリが送られてくる、という仕組みになっている。普通の人はこれを見て「はじめからキットにアリを入れておくと店頭に並んでいるあいだにアリが死んでしまう可能性が高いから、キットを手に入れた子どもが葉書を出してはじめてアリが送られてくるのは合理的だな」と思うけれど、セキュリティ専門家である著者は「この仕組みを悪用すれば、誰でも好きな相手に対して自分の正体を明かさず一方的にアリを送りつけることができる」というハックを見出す。

ハックは必ずしも悪事ではない。たとえば著者によればバスケットボールのダンクシュートは本来バスケットボールのルールが想定していた動作ではなく、ファールを取られることはないものの、ダンクが行われるようになった当初は他の選手や一部のファンから非難されたが、多くのファンはむしろ華麗なダンクに熱狂したため、ハックから正当なプレイに昇格された。いっぽう水泳界では背泳ぎの競技における潜水泳法(バサロ泳法)は成績を伸ばすハックとして多くの選手が取り入れたが危険性が指摘されるなどして制限が加えられた。このようにハックが広まるなかルールの一部として公に認定されたりあるいはコードの改定によって禁止されるなどしてハックではなくなることも多い。

ハックは、システムの設計から疎外され不利な立場に立たされた社会的弱者がコードに従いつつシステムが本来意図したものとは異なる結果を引き起こす、抵抗の手段にもなり得る。たとえば非暴力不服従を掲げる抵抗運動はそれが対抗している体制による強硬な弾圧を引き起こし、その暴力性を明らかにすることで、体制の変革を成し遂げようとするハックだと言える。あるいは多くのアメリカ人のK-Popファンのティーンエイジャーたちが大挙してトランプ大統領の集会のチケットを予約し、多数の座席を追加した集会がガラガラになった事件は、まだ選挙権すら持たない未成年が大統領に恥をかかせた画期的なハックだった。しかし多くの場合、ハックはシステムを設計しその脆弱性を研究したり発見された脆弱性を利用する機会の多い権力者の側に有利に働く。たとえば大企業や富裕層の人たちが税理士を雇って税法の脆弱性を突いた節税を合法的に行えるのに対し、一般の人たちはそのような機会もリソースも持たない。万が一、一般人が簡単に利用できるような脆弱性が税法に見つかったとしてもすぐに法改正によって是正されるのに対し、大企業や富裕層は政治献金やロビー活動などを使って政治システムの脆弱性を突いて自分たちに有利な税制や経済システムの脆弱性を温存させることができる。

黒人や若者、貧困層などを狙い撃ちにした参政権の実質的な制限も、強者による政治システムの脆弱性を利用したハックだ。人種や収入を理由とした参政権の制限は憲法上認められないにもかかわらず、白人や富裕層の権益を守りたい側はその政治権力を使って民主主義の脆弱性を温存している。妊娠中絶の権利が最高裁によって認定されてから破棄されるまでの50年間に渡って続いてきた、本来なら法的に保証されているはずの中絶の権利に対する実質的な制限も、同様に政治的強者による民主主義へのハックだと言える。

本書は終盤、人工知能の発達がハッキングの規模と効率をさらに拡大させ、税理士や選挙戦略家には導き出せないような新たな節税や政治的統制の手法を編みだす危険を指摘する。すでにチェスや碁の世界では人工知能が人間のトップ競技者には思いつけないような常識外れの戦術を駆使して人間を圧倒するようになりつつあるが、各国の税制やさまざまな法律の相互作用を人工知能が分析することで不平等が拡大する恐れがある。しかも機械学習を使った解析では、人工知能がどうしてある場所に碁石を置いたのか説明がつかないように、自分の税負担を減らす、利益を増やす、政治的影響力を増す、といった目標とそれを実現するためのステップの関係性が不透明になり、誰がどういう意図でどのようなハックを実行しているのかすら外部の人には見えなくなってしまう。こうした問題が深刻化するまえに人工知能の利用に関する規制を進めるべきだ、と著者は言うのだけれど、税制や選挙制度など明らかに不公正が横行してしまっているシステムの脆弱性を修正することすらできないのに、そんなことできるんだろうか。