Brian Goldstone著「There Is No Place for Us: Working and Homeless in America」

There Is No Place for Us

Brian Goldstone著「There Is No Place for Us: Working and Homeless in America

ジョージア州アトランタ在住のジャーナリストが、週40時間を超える労働を必死にこなしやるべきことを全部やっているのに貧困に囚われてホームレス状態から抜け出さない地元の家族たちに寄り添いつつ、アメリカにおけるホームレス問題の本質に迫る本。

アトランタは南部随一の都会であり、キング牧師が生まれ育ちかつて教会を率いた(現在その教会では2021年に当選したラファエル・ワーノック上院議員が牧師を務めている)公民権運動の中心地でもある。アメリカにおける黒人文化の中心地の一つでもあり、かつては大きな黒人の中流階層が存在したが、1996年のアトランタ・オリンピックに前後して活発になった再開発や企業誘致の結果ジェントリフィケーションが進み、黒人たちが郊外に追いやられている。

本書において著者は、必死に仕事をしているのに十分なお金を貯めることができず、住居支援を受けようにも支援団体や行政の理不尽な規則や遅延に繰り返し裏切られ、ほかにすがれる希望がないせいで悪徳業者や搾取的な仕組みに食い物にされ、子どもに適切な栄養や住環境を与えていないと決めつけられて子どもを奪われそうになり、心身ともに傷ついていく何人かのシングルマザーたちとその家庭に長期的に寄り添い、彼女たちの日常的な闘争を伝える。彼女たちは「こうすれば助かる、うまくいく」と言われたことを全てやりながら、それでも貧困から逃れられず、子どもたちを育てるのにふさわしい住居を得ることができない。自分のことではないのに、彼女たちの悔しい気持ちと世の中に対する憤りに共鳴して涙が止まらない。これこそジャーナリズム。

こうした状況の背景には、急激に進んだ家賃の高騰と再開発による富の不均衡な分配、政府の社会福祉予算削減とアルゴリズム的な受給資格審査の採用、プライベート・エクイティによる賃貸住宅や実質的に住居となっている安モテルの経営寡占化、特に黒人たちを標的として売り込まれたサブプライムローンの破綻など、さまざまな要因がある。1970年代から1990年代にかけて政府は、福祉予算を削減しただけでなく残された福祉制度の多くを民営化したり民間業者に委託したりして政府としての責任を放棄したが、その結果増えたのが、本書が取り上げているような、薬物依存や精神疾患のようなホームレスになる分かりやすい理由がなく、人並み以上に必死に仕事をしているのに、それでも住む家がない新たなホームレスの人たちだ。

そうした人たちは、アトランタだけでなくわたしの住むシアトルを含め、経済的に繁栄している街にとくに多い。そうした街では低・中所得者が住むことができる住宅が不足し家賃が高騰するが、それでも住む場所は必要なので収入の半分、あるいはそれ以上を家賃の支払いに当てるなど、無理をしている人が少なくない。もとから無理をしているから、家族のだれかが病気になって莫大な医療費がかかったり稼ぎ手が働けなくなったり、通勤に必要な車が故障して修理しなくてはいけなくなったり、あるいは家賃高騰に便乗した家主がいきなり家賃を上げたり住民を追い出してよりお金持ちの借り手と入れ替えようとしたり、改築や不動産売却を理由に退居を求められたりすると、いきなり住む家を失ってしまう。突然の退居を迫られても引越し費用の貯金もなく、より多くの家賃を支払うこともできないために、次の住み家を見つけられないと、ホームレスになってしまう。

そういう人たちがいきなり路上やシェルターで生活をすることは少なく、頼れる家族や友人がいればかれらの家に泊めてもらったり、旅行者ではなくそういう人たちを主な顧客としている安いモテルに滞在したりするけれど、前者は長続きしないし、後者はいくら安いモテルといっても月額でみると一般の住居の家賃よりは高く、さらにキッチンや冷蔵庫・冷凍庫がなければ食費も嵩む。モテルにどれだけ長く住んでも住民としての権利は一切生じないし、ホームレスの期間が長くなると偏見からさらに住居を見つけるのが難しくなる。

政府の住居支援は本人が払えない分の家賃を助成金で補填するという形で提供されるけれど、支援を必要としている人が多すぎるため何年も待たされることも少なくないし、政府が指定する条件を満たす住居を一定期間内に見つけて契約にまで漕ぎ着けなければ取り消されてしまう。しかし住居が不足している地域では家主は入居者を選び放題なので、ホームレスの人を入居させたくないという偏見がなかったとしても、わざわざ政府の要件に応じて面倒な書類を処理しなければいけない入居希望者を選ぼうとはしない。ほかの住宅から締め出された人たちが最終的に行き着くのは、有毒なカビが生えていたり電気配線に問題があって漏電してたり水漏れがあるなどして、まともに生活が送れないような物件。住民からの苦情があっても運営業者は改善してくれないし、あまりにうるさいと退居を求められたりする。なかには入居費用だけ掠め取って実態を知った新住民がすぐに退居することをはじめから見越した詐欺的な物件も。

さらに問題を深刻化しているのは、ホームレスの人たちが長期滞在しているモテルやかれらがなんとかして入居する悪質物件の多くが遠く離れたプライベート・エクイティによって買収されてしまっていること。かつてであれば家賃の支払いが遅れても「必ず○日までには払いますから」などと家主と交渉して猶予をもらったりすることができたけれど、利益を最大化することだけを目的にあらゆるプロセスを自動化したプライベート・エクイティには通用しない。またプライベート・エクイティは徹底的にコストを削減しようとするため、訴えられたり行政に介入されたりしない範囲で危険な住宅を放置したり、対処をできるだけ遅らせたりする。ほかにいくらでも住居を必要とする人はいるのだから、住民の要望に応える必要なまったくない。

わたし自身、ストリートで売春・性労働をしている女性を支援する団体の運営していて、ホームレスの女性を多く知っているけれど、彼女たちが切実に求めている住居への入居を手助けする方法はまったく見当たらない。彼女たちは薬物依存や精神的トラウマに苦しんでいる人たちが少なくないという点で本書に登場する人たちとは事情が異なっていて、「ちゃんと仕事をしているのにホームレスなのはおかしい」という議論に対しては「ちゃんと仕事をしてなかったらホームレスになっても自己責任だというのか」という反発を感じるのだけれど、人々がホームレスになる理由をそれぞれの個人の中に見出す認識がおかしいことには強く同意する。シアトルにあるワシントン大学の研究者Gregg ColburnとClayton Page Aldernによる共著「Homelessness Is a Housing Problem: How Structural Factors Explain U.S. Patterns」のタイトルが簡潔に示すとおり、ホームレスの原因は端的に住宅が不足していることだからだ。薬物依存や精神疾患は「参加者より椅子が少ないとき、誰が椅子取りゲームの敗者になるか」という話であって、全ての参加者が完璧にプレイしても椅子の数が足りていない限り椅子に座れない敗者は生まれてしまう。てゆーかそもそも、わたしが知る女性たちも、薬物依存のせいでホームレスになったわけでなく、むしろ貧困やトラウマ、ホームレスとしての苦しい生活が原因で薬物に依存せざるをえなかったパターンだし。