Bradley Onishi著「Preparing for War: The Extremist History of White Christian Nationalism—and What Comes Next」

Preparing for War

Bradley Onishi著「Preparing for War: The Extremist History of White Christian Nationalism—and What Comes Next

高校生のときに福音派キリスト教に入信し、教会のなかで青少年に対する指導者として七年間を過ごした経験もありいまは宗教学を教えている日系人の著者が、2021年1月に起きた連邦議事堂占拠事件にかれと同じ教会に所属していた人たちを含めた多くの熱心な福音派の信者がいたことに衝撃を受け、自分も教会から離れていなければあの現場にいたのではないかと自問しつつ、福音派キリスト教が極右や陰謀論、民主主義の否定に行き着いてしまった歴史的な経緯を追う本。

著者はかつて熱心なキリスト教徒だったけれど、宗教学を深く学んだ結果、現代の福音派キリスト教が本来の聖書のメッセージだけでなく伝統的なキリスト教で主流だった考え方を大きく逸脱し右派政治運動に飲み込まれてしまったことに気づいた。かれによれば、ほんらい福音派はイエスが近い将来再臨すると考えるため政治には熱心ではなく、むしろカトリック教会や聖公会のように国家権力と特定の宗派が結びついて信仰の自由を脅かすことを懸念し政教分離を強く主張してきた。のちに宗教右派の指導者となった人たちも、1950年代までは政治への不関与を主張していた。

アメリカにおいて福音派キリスト教が政治に関わるようになったのは、1956年のBrown v. Board of Education判決以降、政府が黒人の人権を保護し、人種隔離の撤廃を進めたことがきっかけだった。もともと南部では父親を頂点とする家父長制的な家庭がほんらいあるべき姿とされていて、その最下層に奴隷や使用人として雇われた黒人が位置づけられていたが、人種隔離の撤廃により黒人の子どもたちが白人の子どもたちと対等に同じ学校に通うようになると必然的に友人や恋人となって自分たちの親族のなかに黒人が入ってくる危険がある、というパニックが発生。現代に至るまで宗教右派のキーワードとなっている「家庭の価値」という言葉は、人種隔離制作の撤廃への反発から広まった。

南部の白人たちは、黒人の子どもが通う公立学校に自分たちの子どもを通わせることを拒否し、教会のもとに「隔離学校」と呼ばれる白人専用の私立学校を多数設立、地域によっては公立学校そのものを廃止してしまった。それに対し政府はそうした学校に対する非課税の特権を取り消そうとして、長年に渡る裁判が起きる。そういうなか、それらの学校を運営していた教会は「政府の方針に反対すると課税されるのか」と反発し、政治に積極的に関わるようになる。宗教右派のあいだでは「教会が政治に関わるようになったのは妊娠中絶が合法化され家族の価値が脅かされたからだ」と説明されることが多いが、歴史学的には妊娠中絶問題ではなく黒人の人権がそのきっかけとなったというのが正しい。

人種差別や中絶反対の立場から政治に関与しはじめた福音派キリスト教会が、陰謀論や極右路線を推進したジョン・バーチ・ソサエティに源流を持ち、カリフォルニア州オレンジ郡から広がりだした反福祉・反移民・軍事的タカ派のレーガン革命と合流したことで、現在も続く白人キリスト教ナショナリズムが完成する。もともと主要なキリスト教会は貧しい人への支援や平和運動に熱心で、本来ならタカ派的な反福祉路線とは立場が異なるはずだが、福祉は黒人を怠惰にして国を破壊し、女性を結婚から遠ざけたり離婚を可能にして家庭を破壊する、という論理によって、すなわち人種差別と性差別を通すことで繋がった。かれらが1980年の大統領選挙で南部出身の敬虔な福音派(バプティスト)キリスト教徒だったジミー・カーター大統領ではなく私生活ではほとんど教会に通うこともなかったロナルド・レーガンを支持したのは、人種和解や福祉を擁護し平和外交を進めたカーターのような伝統的なキリスト教徒よりも信仰があるのかすら明らかではないけれども力強く自分たちの利益を守ってくれそうなレーガンがかれらに信用されたからだった。これは2016年・2020年の大統領選挙で宗教右派が、聖書の章の名前すら正しく言えないばかりか、三度離婚しポルノ女優と浮気したり女性に対する性暴力を公言するドナルド・トランプを熱烈に支持したことと重なる。

Philip S. Gorski & Samuel L. Perry著「The Flag and the Cross: White Christian Nationalism and the Threat to American Democracy」でも指摘されているとおり、白人キリスト教ナショナリズムは「アメリカはキリスト教を基盤とした特別な国である」という信念を中心とした思想であり、信仰そのものは問題とされない。もちろんその多くの支持者たちは福音派のキリスト教徒たちだけれども、実際にはレーガンやトランプのように信仰があるのか疑わしいような人物も、キリスト教中心主義・アメリカ中心主義を共有していれば支持を受けることができる。つまりほかの信仰や文化を背景に持つ人や移民・外国人への攻撃的な姿勢こそがその共通点だ。そして近年、力強く自国(白人キリスト教徒)中心主義を擁護する指導者を求めるあまり、ロシアのプーチンや中国の習近平ら権威主義的な指導者を(国益が衝突する場面では批判しつつ)理想的な指導者像に押し上げ、トランプに同じような役割を求め民主主義を否定するところまで来てしまった。

その結果が連邦議事堂占拠事件だというわけだが、著者はあれは新たな時代の始まりに過ぎず、これからも過激化した白人キリスト教ナショナリズムによる民主主義や本来のキリスト教的な価値観への攻撃は続くだろうと予測。この本を出版したのは進歩派のキリスト教系の出版社で、白人キリスト教ナショナリズムに対する批判がキリスト教やキリスト教を知り尽くした宗教学者のなかから出版されているのはおもしろいし、希望が持てる。