alithia zamantakis著「Thinking Cis: Cisgender, Heterosexual Men, and Queer Women’s Roles in Anti-Trans Violence」

Thinking Cis

alithia zamantakis著「Thinking Cis: Cisgender, Heterosexual Men, and Queer Women’s Roles in Anti-Trans Violence

トランスジェンダー女性の社会学者による批判的シスジェンダー研究の本。本書ではとくに女性を性的対象とする異性愛者のシス男性と同性愛者のシス女性らを調査し、かれらのジェンダーに関する考えやトランス女性に対する性的な態度、黒人トランス女性の殺害への反応などについて調査している。2023年刊行だけれど先月ペーパーバック版が出版されたことで目に入って読んだ。

「女性を性的対象とする」という点で見れば同じだけれど、もちろん異性愛者のシス男性と同性愛者のシス女性ではまったく違う。前者はトランスジェンダーの存在についてよく知らずテレビのトークショーなどで面白おかしく取り上げられている程度の知識しかない人が多いいっぽう、後者はトランス男性やトランス女性がコミュニティにいるのが当たり前。トランス女性を性的対象に含めるかどうか、デートの最中に、あるいはセックスしたあとに相手がトランス女性だと分かったらどう思うか、といった質問に対しても、前者には「自分がそんな経験をしたら相手を殺す」という人もいたりして著者が身の危険を感じることも。

シス男性にとってトランス女性と付き合うことは、自分の男性性に対する不安を増幅させる要因になる。自分が付き合いたくないと思う以上に、付き合っているところを他人に見られたくない、ほかの男性に下位の男性として見下されたくない、という危機感が刺激され、それがトランス女性に対する過剰な攻撃性と繋がる。規範的な女性性から既に逸脱しているシス女性のレズビアンたちにとってはそうした問題は起きないが、男性や男性器に対する拒否感がトランス女性にも適用されることがあり、それらは明白に異なっている。さまざまな人種や外見的特徴のある人たちの写真を見せ、あなたの好みのタイプはどれですか、と聞いて順に並べてもらう調査では、写真のなかにトランス女性が混ざっていることに気づいたシス男性がトランス女性を低くランク付けようとするいっぽう(ただし写真は全部トランス女性だったり)、シス女性たちはトランス女性を外見で見分けることはできないこと、シス女性にもトランス女性にもさまざまな外見の人がいることを意識しつつ、外見でランク付けすることに不快感を感じる人も。

インタビューを受けたシス女性たちのなかにトランス女性の存在を否定する、いわゆるTERFと呼ばれるような人はおらず、トランス女性を女性として受け入れつつも、しかし自分の性的対象には入らないし、トランス女性は自分がトランス女性だとはじめから開示するべきだ、と考える人はいた。彼女たちはトランス女性に対する暴力を批判しながら、トランス女性を性的対象に含めないのは本人の自由でありトランスジェンダーであることを「隠す」トランス女性にも責任があるという考えを持つが、トランス女性だと分かると差別や暴力を受け、別に隠しているわけでなくともトランスジェンダーであることを常に示していないとまた別の暴力を受けその責任まで負わされるトランス女性たちの置かれた状況には無頓着。それに対して一部には積極的にトランス女性への攻撃に抵抗するとともに、自分自身がトランス女性と付き合うかどうかは別としてそうした趣味嗜好が決して生まれつき決定されたものではなく社会的・政治的なプロセスによって構築されたものであることを理解するアライも存在する。

黒人やラティーナ、先住民の女性、性労働者らを中心に、毎年多数のトランス女性たちがシス男性による暴力の犠牲となっているが、本書はそれらの暴力を直接の加害者だけの責任にするのではなく、その根底にあるシスネスの論理を暴き出そうとする内容。そこで批判に晒されるのは、いわゆるTERFと呼ばれるような極端な反トランスジェンダー主義だけではなく、脆弱な男性性と特にマイノリティの男性にその防衛を強いる覇権的男性性の支配力と、自分はトランス女性を女性として受け入れいてると言いつつ、自分がトランス女性を性的対象に含めないのは批評の対象とならない個人の自由でありトランス女性はその自由を尊重して自らトランスであることを開示しろと強いるカジュアルなトランスフォビアだ。Emma Heaney編「Feminism Against Cisness」とならび、批判的シスネス研究の重要文献になりそう。