
Bethany Corbin著「The Femtech Revolution: Harnessing Technology to Supercharge Women’s Healthcare」
女性特有の健康上の課題を解決すると称するテクノロジー、いわゆるフェムテックについての本。著者はフェムテックを専門とする法律家で起業家だけど、フェムテック業界にいろいろ問題があることは認識したうえで、消費者がより良い製品を選んでうまく使う方法を解説している。
序盤では「女性の健康が医療によってどれだけ軽視・無視されてきたか」という、Anushay Hossain著「The Pain Gap: How Sexism and Racism in Healthcare Kill Women」(邦訳「『女の痛み』はなぜ無視されるのか」)などにも書かれていた内容が提示されるが、そのなかで奴隷とされた黒人女性や植民地支配を受けた非白人女性たちが医学研究の犠牲とされた部分を単に「医療の性差別はとくに非白人女性に対して大きな被害を出した」話にしていて、それにより白人女性が利益を得たことがきちんと論じられていないなど表層的に感じる部分も。
心身の不調についての女性の訴えをなんでもかんでも「ヒステリー」と名付けてまともに相手をしなかった医者の態度は以前よりは改善されたとはいえいまも続いており、医療における性差別を解消するために生まれたのが第二波フェミニズムにおける「女性の健康」運動だったけれど、著者は個々の女性がテクノロジーを援用して詳細なデータを記録することで医者が無視できないようにしようとするアプローチを提唱している。社会変革ではなくテクノロジーによる自己救済を目指す考え自体は個人の生存のためには否定できないけれど、何世紀にも及ぶ医療における性差別を振り返ったうえで「社会は変わらないからテクノロジーを使って自己救済しよう」というのはいろいろ残念。
著者の言うフェムテックの対象となるのは生理や妊娠・出産など産婦人科だけに限った話ではなく更年期症状や癌、心臓病など女性に特有のパターンが見られるあらゆる健康上の課題が含まれるし、アプリやウェアラブルデバイスを使ったデータトラッキングだけではないのだけれど、本書が扱う話題の大半はアプリやウェアラブルの話。まあフェムテック専門の弁護士として仕事をするなら、ベンチャーキャピタルが出資するさまざまな新興フェムテックアプリやデバイスの会社を顧客としているはずで、そういう話題になるのは当たり前か。
著者はフェムテック業界にもほかの業界と同じく話題だけを振りまいて金儲けを狙うだけの企業もあるとして、個人データの安全性や医療としての信頼性、女性の健康について真剣に考えている企業かどうか、テクノロジーに親和性の高い若い白人中流女性だけでなく全ての女性や同じ健康上の課題を抱える人たちを対象にしているかどうか、などの基準を挙げ、一般消費者がどのようにしてアプリやデバイスを評価するか、ウェブサイトや宣伝文句の読み方や利用規約のポイントなど具体的にアドバイスしている。このあたりは結構いいかもとは思うのだけど、こうしたアプリの大半は医療器具として登録されておらず医療情報保護の対象でもないため、規約にどう書かれていても信用できないしなあと。ただ「やたらとディスラプションを起こすと言っている企業は避けろ」とか、あるときは暗号通貨、続いてフードデリバリー、そしてフェムテックを起業したような、その時のトレンドを追って次々に起業している創業者の会社は信用できないというのはなんか笑えた。そりゃそうだ。
医者に自分の訴えを聞いてもらうためには詳細なデータを集めて提示することが必要だけれど、そうすると自分の心身に関する個人的な情報がアプリを通して流出する危険が生じる。一番いいのはデータが暗号化されたうえでローカルに保存されてアプリ運営会社からもアクセスできない形だけれど、アプリのアップデートで勝手にプライバシー設定が変更されたり、アップデート後にアプリを起動するだけで改定された規約に同意したことにされたりするので油断できない。なかにはサービスへの課金ではなくはじめからデータの販売で儲けるビジネスモデルになっているものもあるし、ベンチャー企業なんてすぐに他社に買収されて勝手にデータが統合されたりするのも問題。著者はそういった危険に対して消費者がどう自衛するのか説明するけれど、はっきり言って普通の消費者ができる自衛の範疇ではない。個人情報保護を有効な罰則のある法律として整備するべきだし、そもそもそこまでしてデータを収集しなければ医者が話をまともに聞いてくれない(医者にも話を聞くような余裕がない)医療制度自体がおかしいでしょ絶対。
そういった政策の実現や社会変革が難しいからこそ、せめてもの自衛策・自己救済策としてテクノロジーを採用する、というのはだからやっぱり否定できないんだけど、それは本書のタイトルにあるような「革命」ではないよね、と。自ら費用をかけ危険をおかしてデータを収集しない患者は置いていかれるし、間違ったアプリを使ったせいで個人情報が流出しても自己責任として泣き寝入りするしかない現状を、フェムテックは革命してくれない。