Al Naqvi & Mani Janakiram著「At the Speed of Irrelevance: How America Blew Its AI Leadership Position and How to Regain It」

At the Speed of Irrelevance

Al Naqvi & Mani Janakiram著「At the Speed of Irrelevance: How America Blew Its AI Leadership Position and How to Regain It

アメリカは国家としての人工知能(AI)産業戦略を持たないために中国にAI技術で先を越され、競争のスタートラインに立つことすらできていない、と警鐘を鳴らす本。著者によるとAIはロボットとか医療とか半導体とかバイオテクノロジーのような個別の技術分野ではなくそれらすべての前提となるプラットフォームであり、国家の防衛から産業振興に至るまであらゆる面で人々の生活に影響を与えるものだけれど、アメリカのAI政策は官僚がAI技術のベンダーであるシリコンバレーのIT企業やかれらと協力関係にある研究者たちに聞き取りすることによって決められていて、ビジネスや教育や医療や国防にAIを実際に使う立場の人たちが関わっていないし、長期的な国益ではなくIT企業や研究者の私的な利権を守るだけのものになってしまっている。結果、AI研究にもっと予算を出せ、AIを規制するな、という関係者の主張が国の方針に置き換わってしまっている。

著者らが現在のアメリカのAI政策の不在と対比させるのは、アル・ゴア副大統領が熱心に推進していた「情報スーパーハイウェイ」(のちにインターネットと統合)についてビル・クリントン大統領が1994年の一般教書演説で語った内容だ。「わたしたちは民間と協力してアメリカのすべての教室、すべてのクリニック、すべての図書館、すべての病院を2000年までに全国的な情報スーパーハイウェイに接続すべきだ、と語った副大統領は正しい。あらゆる情報に主観的にアクセスできるようにすることで、生産性は向上し、子どもたちの教育や医療は改善され、新たな仕事が生まれるだろう。今年中に情報スーパーハイウェイを設立するための法案を可決するよう議会に呼びかける。」ここでクリントン/ゴアは国民に対して、情報スーパーハイウェイ(インターネット)がどういうものなのか、どのように人々の生活を改善するのか、分かりやすく国民に説明しているが、AIについて指導者たちが同じように呼びかけたことはない。

AIが人々の生活をどう変えていくのか、どういう利点があるのか分かりやすく説明されないまま、ハリウッド映画で広められた、人間を殺そうとするAI、勝手に戦争を始めるAI、人間に対する戦争を起こすAI、人間をバッテリーとしてプラグに繋ぐAIといったイメージだけが共有され、そうした危険について論じることが「AIの社会的責任・倫理」だとされてしまう一方で、フェイスブックやパランティアなどシリコンバレー企業による実際のAIの悪用や濫用は見逃される。

また一般企業にとってもAIは使い方が分かりにくく、カスタマーサービスのためのチャットボット程度のものがAIだとして導入されている。著者はAIの本当の強みを活かすのは機械学習であり、そのためには一見意味がないように見えてもとにかくデータを集めて処理する必要があるが、そうした取り組みを推奨するような産業政策がないために採用が遅れていると指摘。対して中国では国をあげてデータ収集と機械学習を行っているが、「中国と違いアメリカは民主国家で市民のプライバシーを守らなければいけないから」という言い訳は産業政策のそもそもの欠如をごまかしていると著者は主張する。と同時に、政府によるAI政策はただ単に中国に対抗し追い抜くためにではなく、AIを使ってアメリカの市民生活や経済や国防をどう改善していくか、という国益重視の政策が必要だとも。ちなみに中国がどれだけ進んでいるか、という話は具体的に本書では説明されておらず、よく分からなかった。

わたしはこれまでVirginia Eubanks著「Automating Inequality」、Catherine D’Ignazio & Lauren F. Klein著「Data Feminism」、Jer Thorp著「Living in Data」などビッグデータやAIの倫理的問題、社会的不公正を強化する危険についていろいろ読んできたのだけれど、この本の著者はそうした批判はあまり重視していない。もしかするとそれは、著者が政府のAI政策について注目していて、政府や業界の外側からの批判にあまり触れていないからなのかもしれないけど、AIに対する倫理的な批判はハリウッド映画の観すぎ、みたいな言い方はどうかと思った。また本書では、AIを使えば科学的研究に仮説は必要ないとか、とにかくデータを大量に集めれば存在を意識すらしなかった問題の答えまで見つかる、みたいな話が続くのだけれど、Erik J. Larson著「The Myth of Artificial Intelligence」やGerd Gigerenzer著「How to Stay Smart in a Smart World」などではそれはAIに対する過剰な期待だと書かれていて、わたしも著者はAIを過信していると思った。