Wendy Williams著「Kraken: The Curious, Exciting, and Slightly Disturbing Science of Squid」

Kraken

Wendy Williams著「Kraken: The Curious, Exciting, and Slightly Disturbing Science of Squid

イカの本。ふだん新刊を紹介しているなか珍しく10年以上前の本だったりするけど、これまでクラゲ本サメ本ウナギ本を紹介してきた海洋生物好きとしては出会ってしまった以上無視できなかった。

著者は馬についての著書もあるジャーナリストでライターなのだけど、イカに対する愛情はあまり感じられず、内容も散漫とした感じ。序盤は巨大イカの謎をめぐる話(巨大イカは商業的価値のあるほかの魚を大量に食べてしまい漁業に悪影響があるので研究予算が降りるらしい)、そこからイカの目や神経系が人類ら哺乳類とは独立して進化してきた経緯や、周囲の環境に合わせてイカ自身には見えない色の変化をすること、医学の発展や脳外科医の育成にイカが果たしてきた役割など、まとまりがないけど興味深い話が続く。イカは戦いの際に触手(イカは8本の足と2本の触手がある)を切って相手の目を欺き逃げることがある、という話で、その後触手は再生する、という話があるんだけど、そこで「イカは現実のナメック星人だ」と書かれているのに笑った。それってアメリカの読者に普通に伝わるたとえだったの?

でも生殖の話になって、わたしはイカが怖くなった。イカにもさまざまな種類がありそれぞれ異なる生態があるのだけど、多くの種においてオスは精子が入ったカプセルみたいな槍をメスの体の体表にぶっ刺すというだけでも怖いのに、種によってはその前に体表に傷をつけてその傷にさらに差し込むとか。で、メスが卵子を排出した際に海中で受精するパターンの種が多いのだけど、それが起きるまでメスは体のあちこちに精子入りカプセルを打ち込まれたままらしい。オスは8:2くらいの割合で、自分が精子カプセルを刺したメスにほかのオスが近づかないようガードするディフェンダータイプと、そのガードをくぐり抜けて刺そうとするアタッカータイプに分けられるとか。どちらかというとディフェンダータイプのほうが大きく強いイカが多く、アタッカーは小さいけど小回りでディフェンダーを翻弄し、メスの体のディフェンダーから見えにくい場所に精子カプセルを打ち込む。そんなオス同士の攻防もイヤだし、さらにメスは出産したら死ぬらしい。女性の著者は人間とイカの生殖が同じでなくて良かったと言っているけど、ほんとそうだよ!怖くてぞわっとしたわ。

終盤ではイカの知性をめぐる話になって、よくタコは賢いけどイカはそうでもないみたいに言われているけど、それは人間に対する社交性が高く水槽で飼いやすいタコのほうが多く研究されているだけじゃないの!という異議申し立てがあり、はじめて著者のイカ愛が感じられた。まあ彼女の場合、子どものころ巨大タコが登場するホラー映画を観たらしく、そのせいでずっとタコを嫌っていたという話。ちなみにポップカルチャーだけでなく文学の世界でもアメリカでは古くから「巨大タコに襲われた女性を屈強な男がタコと格闘し助ける」というパターンがあるようで、わたしの住むシアトルではほんの50年前まで「タコレスリング大会」(海に潜り大きなタコを捕まえる大会、実際のところタコは逃げるので当たり前だけどレスリングにはならない)が行われていたらしい。なんだそれ!と二度目の叫び。

それは置いておくとして、イカの知性についての研究においては、そもそも知性とは何なのか、という疑問もあり、簡単な話ではない。たとえば、もしイカにとっては周囲の環境に応じて体色を変えるのが知性かもしれず、その基準でイカが人類の知性を研究したら人類には知性がないということになる。という話は分かるのだけれど、「もしほかの生命体が人類の知性を研究したら」のたとえに「火星人」を持ち出すのは、イカやタコの話をしているときに紛らわしい。著者のユーモアなのかどうか分からないけど、なんか笑ってしまった。