Sara Glass著「Kissing Girls on Shabbat: A Memoir」

Kissing Girls on Shabbat

Sara Glass著「Kissing Girls on Shabbat: A Memoir

ブルックリンの一般社会から隔離された超正統派ユダヤ教のコミュニティで「女性は夫に仕え子どもをたくさん生むもの」と教えられて育った著者が、宗教的な義務を果たすため、そして愛する子どもたちを奪われないために同性である女性に惹かれる気持ちを押し殺し、自らを殺して長年生きてきて、ついに自由を求めるに至った経緯を綴った自叙伝。

著者はテレビを見たり一般社会のニュースに触れることすら許されず超正統派のコミュニティ以外と交流する機会を持たないまま育ったため、日常生活において男性と触れる機会を持たず、オーガズムという言葉の意味や性行為が子作り以外の意味を持つことも知らないまま家族に言われた通りの男性と婚約。仲が良かった女性とはお互い愛し合っていたけれどもなにをどうすれば良いのかも分からず結婚をきっかけに疎遠になる。宗教的に厳格な夫は、結婚前には心理学の博士号を取るという著者の目標を認めていたはずなのに結婚後に一方的にその約束を反故にし、生理中・生理前後の女性は穢れているからと毎月のかなりの部分を家の中でも顔を隠すよう強いたりする冷え切った関係からついに宗教指導者に離婚の許可を求めるも、その条件として二人の子どもは超正統派ユダヤ教のしきたりに沿って育てるという義務を負ってしまう。

離婚した著者は、禁止されていたインターネットを契約して出会いアプリで女性とデートするも、同性愛者としてカミングアウトすると離婚協定によって子どもの親権を失うことになるのでうまくいきそうになっても途中で断念してしまう。そのうち以前の夫よりは物わかりがよく博士号取得を応援してくれる男性と出会い、自分はバイセクシュアルなのだと自らに言い聞かせて再婚するが、やはり男尊女卑的な価値観のなか息苦しい思いは続き、また夫のことは好意的に思っていたけれども愛することはできずに性的な行為を求められるのが苦痛でしかなかった。

著者が自らの性的指向を自覚し夫や聖職者らによる男性支配からの自由を求めることとともに本書の主軸となるのは、精神疾患に苦しんでいた姉との関係。子どものころから姉はたびたび入院させられていなくなり、そのうちにイスラエルの施設に送られてしまうけれども、その理由が双極性障害であることを著者が知るのはのちの話。また著者の母親も自分で選べなかった結婚を後悔し精神的な悩みを抱えていた。著者が心理学者を目指していたのは姉のことを理解し救うためだったが、最初の夫のせいでその夢が閉ざされ、子どもを奪われないために本当の自分を隠さなければいけない状態に陥った著者は、精神疾患が生物学的な要因だけでなくその人が置かれた社会的な状況やそこで感じるストレスに強く関係することを実感する。

最初の離婚協議において「超正統派ユダヤ教のしきたりに沿って育てる、聖職者がこの合意が破られたと判断したら親権はもう一方の親に移す」という文書に署名してしまったばかりに、自分を殺して生きることを覚悟した著者だったが、自分の二人の子どもたちも自分が育ったのと同じ文化のなかで自由を奪われ個を殺されていることに気づいて戦うことを決意。とくにまだ幼い娘が早い段階から「男性を誘惑しないように」と長いスカートなど貞節な制服を強いられているのを見て、子どもたちを一般の学校に入れようとする。それに対して勝手に子どもの学校を変更しようとしたり、裁判に訴えて親権を奪おうとする夫や聖職者たちと対決する。

はじめから本全体の9割くらいずっと息苦しくも腹立たしい内容がずっと続くので何度か途中で読むのをやめそうになったけど、最後まで読んで良かったと思わせてくれる。謝辞には著者を勇気づけてくれた本の著者たちへの感謝が書かれていて、そのなかにわたしも大好きな「Hijab Butch Blues: A Memoir」著者のLamya Hさんが入っているのを見てうれしかったけど、本書に救われる人たちもたくさんいそう。