Rebecca Boggs Roberts著「Untold Power: The Fascinating Rise and Complex Legacy of First Lady Edith Wilson」

Untold Power

Rebecca Boggs Roberts著「Untold Power: The Fascinating Rise and Complex Legacy of First Lady Edith Wilson

第一次世界大戦後に設立された国際連盟の提唱者でありながら議会に反対されて米国を国際連盟に加盟させることができなかったウッドロウ・ウィルソン大統領と在職中に結婚してファーストレディとなったエディス・ウィルソン氏の伝記。いやいやウィルソン大統領自体にそんなに興味ないのにそのファーストレディについてまるまる一冊読む価値あるのかよと思いきや、めっちゃ面白い。

エディスが現職大統領と結婚してファーストレディになったのは、まだ女性には参政権がなかった1915年。庶民出身のエディスは教育を受ける機会もなかったけれども、その美貌と才覚を武器に最初の夫(若くして亡くなった)の事業を助けるなどしてワシントンDCで交友関係を広げていく。そういうなか友人に紹介されて出会ったのが、最初の配偶者を亡くしたばかりのウィルソン大統領。大統領から頻繁にお茶やお食事に呼ばれるようになり、出会って6週間後には結婚を申し込まれる。いやいや早すぎだろとエディスは当たり前に断ったけれども交際は続いたけれども、大統領は毎日のように彼女に手紙や電報を送り、一日に二通送ることもあったという。

当時ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発しており、ウィルソン大統領は中立・非参戦の立場で人々の支持を得ていたけれども、妻を亡くしたばかりの大統領が新しい女性を口説くために一日に何通も手紙を書いているような状況ではなかったはずで、ウッドロウくんがちゃんと仕事をしていたのか心配になる。そのうちかれは、エディスをなびかせるためには愛の言葉よりも政治について助言を求めるほうが有効だということに気付き、まだ公開されていない法案の原案や外交文書などのコピーを送って意見を求めたり、ドイツ政府に送る書簡の下書きを彼女に任せるようになる。機密の扱いどうなんだと思うし、現代ならこれだけでも弾劾されそうなところだけど、結果としてどんどん距離が縮まり、ついにエディスは現役大統領との再婚を了承する。

のちにアメリカは第一次世界大戦に連合国(イギリス)側で参戦、戦争が終盤になるとウィルソン大統領は休戦交渉に参加しようとエディスを連れて長期間ヨーロッパへ。大統領がそれほど長期に渡って国を離れるのも前代未聞なら、ファーストレディが大統領の外遊に付いていくのも当時としては前例がなかったが、ミーハーな彼女は各国の王族とお茶を楽しんだとか。結局ヴェルサイユ条約は締結され、国際連盟の樹立も決まったが、アメリカ国内ではそれらに対する批判が根強く、国際連盟設立を自身の最大の成果としたいウィルソン大統領は追い込まれる。

アメリカに帰国したウィルソン大統領は議会に条約への署名と国際連盟への加盟を拒否されると、直接国民に語りかけて議会に圧力をかけようと全国数十箇所を鉄道でめぐるキャンペーンを開始。しかしもともと健康が優れなかった大統領はこの旅のなかでさらに病状を悪化させ、ついに脳梗塞で倒れる。メディアや議会には一時的な病気ですぐに復帰すると伝えるも実際の病状はかなり深刻で、左半身が不随、視力や聴力も不十分で意識が朦朧としていることも多く良いときで一日数時間椅子に座って執務をするのが精一杯という状態。しかしエディスは夫から仕事を奪ったら生きる気力が無くなってしまうと医者らを説得し、大統領辞任や副大統領への一時権限委譲を否定、病状の深刻さを国民や議会から隠し通すことになる。

エディスがのちに書いた自叙伝では、大統領は病に苦しんでいたけれども精神的には常に万全で仕事を全うすることができていた、と書かれているけれども、彼女の自叙伝には嘘が多く歴史家たちはこの記述も事実ではないと考えている(ちなみにファーストレディ経験者として初めて自叙伝を書いたのも彼女)。大統領のもとに持ち込まれるさまざまな案件について、彼女が重要なものかどうか判断し、どうしても大統領の指示が必要なものだけ彼女が大統領の寝室に持っていって判断を仰いでいる、と周囲には説明していたけれども、たとえば議会の法案に対する拒否権の発動などかなり重要な案件についても、実際には多くの場合彼女が独断で判断した。そうでなくとも大統領は当時すでに的確な判断を下せる状態ではなくなっていて、たとえば議会の中間派が主張する妥協案を飲まなければアメリカを国際連盟に加盟させる法案が否決されることが明らかになっても一切の妥協を拒否したり、否決されたあと反対した上院議員たちに対して「お前ら全員辞任して再選挙に出ろ、もしお前らの半分以上が再選されるようなら自分が大統領を辞任する」という声明を発表しようとしてエディスら周囲に止められる事態も。そして明らかに大統領の任務をこなせる状態ではないのに三期目への立候補を目指そうとするなど、自分自身の置かれた状況すら分かっていなかった。

こういう場合本来なら副大統領が大統領代行としてその職務を担当すべきなのだけれど、当時はまだ大統領が存命のまま職務を果たせなくなった時にどうするかという取り決めが十分でなく、副大統領は面倒なことになるのを恐れて何もしようとしなかった。議会もそのうち「大統領の病状は伝えられているより深刻なのでは?」と疑い代表団をホワイトハウスに派遣するも、エディスにより大統領の体調が良い時に短時間だけ面会させられ、本当は読んでいない報告書を読んだふりの演技をした大統領に騙される。数ヶ月の休養のあと大統領の健康はたまに公に姿を見せることができる程度には回復したものの大統領の責務を果たすことができるまでではなく、次の大統領が就任するまで2年間ものあいだ参政権すら持っていなかったエディスが実質的な大統領代行として夫の代わりに業務を果たしていた。

何の権限も持たないエディスが大統領代行の役割を長期に渡って担った事実はどう考えても憲法違反だし、ウィルソン大統領は弾劾・罷免されるべきだった。そもそも現代なら大統領がそれほど長期間に渡って公の場に姿を表さないのは不可能だし、実際の病状を隠し続けることもできないはず。教育を受けておらず参政権すら認められていなかった女性が憲法を踏みにじり国民も議会も騙して実質的に「アメリカ史上初の女性大統領」のように振る舞っていた、という歴史的事実はすさまじい。まあ彼女は憲法違反や傀儡政治を別としても南部出身でロバート・リー南軍将軍を崇拝していた人種差別主義者だし(ウィルソン大統領もプリンストン大学学長時代に黒人の入学を禁止したり、大統領就任後に政府内の人種隔離を強化したことが批判を浴び、2020年にはプリンストン大学のウィルソン・スクールの名前が変えられている)、あんまり歴史上の偉大なパイオニアとして扱いたくはない人なんだけれど、とにかくすごい歴史ではある。