Danica Roem著「Burn the Page: A True Story of Torching Doubts, Blazing Trails, and Igniting Change」

Burn the Page

Danica Roem著「Burn the Page: A True Story of Torching Doubts, Blazing Trails, and Igniting Change

2018年からヴァージニア州下院議員を務めるトランスジェンダー女性による本。過去には他の州でトランスジェンダーであることを公開しないまま当選した人や、トランスジェンダーを公言して当選したあとスキャンダルが発覚して議席を辞退した人はいたものの、トランスジェンダーを公言して当選し実際に議会で活動した政治家としては全米初。現在は3期目。本書は著者の自伝であるとともに、より多くの人たちに政治への参加を呼びかける内容にもなっている。

著者のすごいところは、トランスジェンダー女性として世間の偏見や差別の集中砲火を受けながら、人に気に入られようと自分を偽るのはやめよう、という一貫としたスタンス。他の男の子とは違うという感覚を誤魔化すためにスポーツに興味があるふりをして野茂英雄のジャージーを着た子ども時代(なんで野茂w)、周囲に馴染めずに男性が髪を伸ばしたり化粧をしても許されるメタルミュージックにハマった高校時代、自分もスラッシュメタルのバンドをやるようになりお酒を飲みまくって暴れてホームベースにしていたクラブから出禁になった20代など、とてものちに政治家になる人の経歴とは思えないけれども、何一つ隠すことなく赤裸々に語っている。地元の地方新聞の記者として政治家に取材する一方、一個人としてもクィアやトランスの子どもたちに対するいじめをなくす運動などに関わり、民主党関係者から州議会議員に立候補することを勧められる。

勧められたのは、同性婚禁止やトランスジェンダーの人たちが性自認に合わせたトイレを使用することを禁止する法案を提出してきた保守派の共和党現職がいる選挙区。その現職は著者が7歳のころから連続当選しており、民主党にとって勝ち目の少ない選挙区だった。トランスジェンダーでなおかつメタルバンドのヴォーカルという経歴から、自分の過去を暴かれてあることないこと中傷されると思った著者は、自ら調査会社を雇い、自分にどのような弱点や攻撃材料があるのか調べさせた。暴力的な歌詞を叫んだり性的に過激な描写のあるミュージックビデオをふくめ自分の過去から逃げることはしないけれど、攻撃されたときどう対応するのかはあらかじめ決めておいたほうがいい、という考え。実際、共和党現職は選挙戦終盤になると彼女の過去の動画を編集した攻撃的な選挙広告を出すなどしたけれども、トランスジェンダーに対する差別的な失言を抑えきれずに連発しただけでなく、彼女との討論会を辞退するなどした結果、自滅。著者は多くの人の予想を裏切り当選した。

著者の「自分を偽らない」というポリシーは、トランスジェンダーの子どもとして自分を偽ることをなかば強制されて育ってきた過去から来るものでもあるけれど、彼女が自分自身でいることを突き通した結果、対立候補の側に「差別的なことを言いたい、やりたいけれど、差別的だとは見なされなくない」という偽りを強いたことが勝利に繋がったとも言える。また彼女の「偽りのなさ」こそが、これまで現職を支持してきた有権者たちに支持を広げた要因だとも思う。

また著者は、民主党関係者に立候補しないかと誘われたことについて、彼女のような背景の人が政治の世界に足を踏み入れるために必要なことだったと書いている。多くの場合、男性候補ははじめから政治家になるという野心を持つ人が立候補することが多いのだけれど、女性やクィアなどのマイノリティは他人に勧められて「自分が立候補していいんだ」と気づき決心することが多い。それぞれの党がどのように新たな人材を発掘するかという点で重要な指摘。また彼女は「勝てる候補」という基準で候補者が決められていたら彼女は選ばれなかったという思いから、「勝てる候補」という考えにも反対している。

1つだけ気になったことは、トランスジェンダー女性の牧師が書いたPaula Stone Williams著「As a Woman: What I Learned about Power, Sex, and the Patriarchy after I Transitioned」とも共通する問題なのだけれど、著者がトランスジェンダーであることに悩んでいたり、カミングアウトしたときに、バンドメンバーを含めた周囲の男性には相談できず、周囲の女性に支えられた、という記述。トランスジェンダーに限らず社会的弱者やマイノリティへの対応が男性と女性とではかなり違う、というのはそのとおりだと思うのだけれど、それが女性がケア労働や感情労働を子どものころから押し付けられている状況と繋がっていることに無意識的すぎるんじゃないのかな、と思う。一言それを指摘してくれたらモヤモヤしなくて済んだと思うんだけど、だから女性は素晴らしい、的に称賛するのは違うと思うんだよねえ。