Niko Stratis著「The Dad Rock That Made Me a Woman」
父親が運営するガラス工房で長年働き30代でトランス女性としてカミングアウトしてライターになったカナダ人の著者が音楽、とくにダッドロック(父親世代が聴くロック)と呼ばれるジャンルについて熱く論じながら自分のトランジションについても語る本。「わたしを女にしたダッドロック」というタイトルを見て何言ってんだこいつって思ったけど、読んでいる最中も「これ何の本だっけ」と思うことが何度かあった。
ダッドロックと言っても父親の世代によってかれらが聞いている音楽も変わるので確固とした定義はないけれど、だいたいビートルズなどクラシック・ロックの後から1980年代までくらいに登場した、白人中年男性が聴く音楽くらいのイメージ。ただし本書における扱いとは異なるが、最近ではZ世代の人たちによって1990年代以降の音楽もダッドロックに分類されつつある。この言葉が使われるのは、大抵は若い世代による悪口なので(たとえば最近のバンドに対して「お前の音楽は古い、つまらない」という意味でダッドロック呼ばわりしたり)ミュージシャンにもファンにもあんまり自称はされないけれど、著者は父親が聞いていたダッドロックを愛し、そのヘテロマスキュリンなイメージのなかにクィアネスやジェンダーのゆらぎを感じとる。
その象徴的な例として著者が挙げるのが、ダッドロックの代表的なアーティストであるブルース・スプリングスティーンの代表曲の一つである「Dancing in the Dark」。この有名な曲のなかでスプリングスティーンは、夜勤の仕事に疲れ果てて朝に帰宅する毎日を繰り返している主人公が、どこにも行けない、なにも変わらない生活のなか歳をとっていくばかりの自分を鏡の中に見て、「自分の服装を、髪を、顔を変えたい」と願う描写を歌う。カナダ・ユーコン地方の田舎のガラス工房で父親とともに毎日働き何も変わらない日常から逃げ出したいと思っていた著者は、スプリングスティーンのこの白人労働者階級男性のアンセムにトランスジェンダー的な欲望を見出し、自分のアイデンティティと接続したうえで、労働者階級の自身がトランスジェンダーであることを公にして自分の生きたいように生きることの難しさを語る。
このように著者による音楽の解釈はところどころとても面白いのだけれど、あんまりダッドロックに共感できない以前にそもそも聴いていないわたしにとっては、オタクが延々とオタク語りしているような印象を受けてしまい、せめてダッドロックにもう少し詳しければもっとおもしろく感じることができたように思う。さすがにスプリングスティーンのあの曲くらいは知ってるので、その部分はおもしろかったもの。あと、トランス女性の自叙伝でこれだけ父親と関係が良好なのはあんまり見ない気がするんだけど、そこが良好だったからこそ家を飛び出してトランジションするのが遅れたというのはありそう。