Nate Silver著「On the Edge: The Art of Risking Everything」

On the Edge

Nate Silver著「On the Edge: The Art of Risking Everything

統計分析を駆使した選挙結果予測で一世を風靡しプロのポーカープレイヤーとしての経歴もある著者が、かれ自身を含めたプロギャンブラーをはじめとした、高いリスク許容度と闘争心に加えて期待値最大化指向を持つ、かれの言うところの「ザ・リバー」の住人たちについて書いた本。

ポーカーやブラックジャックのトップレベルで競技するには、常に冷静に頭の中で期待値を計算し、有利な条件であると睨んだらひるまずに高いリスクを取れる指向性が必要なのは明らか。多くの人はあらゆることの期待値を計算する習慣を持たないし、たとえ計算上は有利な賭けであったとしてもあまりに高いリスクはなかなか取れない。しかも他のプレイヤーたちに囲まれてお互いに手を読み合うなかで、リスクを取って相手を打倒し賞金を奪い取るという闘争心を維持するのも難しい。多くの場合、そうした行為は世間の良識や慣行に逆行しており、それらを無視してひたすら自分の考えを貫く意思も必要。世の中にはそれをやってのける人たちがいて、かれらはギャンブルだけではなくファイナンスやヴェンチャーキャピタル、暗号通貨、その他さまざまな場面で活躍し、一部の成功者たちは膨大な富と影響力を築いている。

著者はそうした人たちに好意的なのだけれど、同時にかれらが自分の期待値最大化を優先して世間のルールに反した行為に及んで多大な被害を巻き起こしていることにも意識的。その代表例がもちろん著者が何度も面会を重ねたFTX創業者で効果的利他主義のスポークスパーソンだったサム・バンクマン=フリードでありツイッター買収以降ヘイトやデマを垂れ流すイーロン・マスクだが(後者についてはもはや期待値計算ができなくなっているけど)、ピーター・ティールやサム・アルトマンらについても手放しでは褒めていない。また「ザ・リバー」の住人の大半が白人やアジア人の中流階層より上を出身とする男性によって占められており、女性や黒人などがさまざまな形で排除されていることも指摘している。

著者が「ザ・リバー」と対比させるのは既得権益に守られた政治やビジネスのエリートたちが住む「ザ・ビレッジ」。かれらは安定を求め、リスクを嫌い、既存の良識や慣行を脅かす「ザ・リバー」の住人たちを快く思っていない。これはまさしくピーター・ティールらが思い描く政治的対立の構図だけれど、実際のところ前者だって「ザ・ヴィレッジ」の利益を得ている恵まれた環境から出てきた人たちが多く、またリスクを取って成功した人の話だけ集めてもリスクを取ることが良いのかどうかは判断できない。宝くじの当選者の話だけ集めたら「宝くじは買うべきだ、買わないなんてありえない」ってなってしまうみたいなもの。

マーク・ザッカーバーグがリスクを取ってフェイスブックに賭けたのは良いけれど、かれにフェイスブックの統治(あるいはその不在)を通して民主主義のあり方自体まで賭ける権利があるようには思えない。ピーター・ティールが監視技術を各国の政府や軍に売り込んで人々の自由を奪ったり、サム・アルトマンが人工知能(AI)開発において利益を優先して安全性を後回しにするのも同じ。人々はもっとリスクを取るべきだ、という著者の主張はわかるんだけど、一部の人たちがリスクを取る決定をして利益を独占し、被害は他人に押し付けるという構図をまずなんとかしないと。

興味深いことに、本書はドナルド・トランプを「ザ・リバー」の住人として認めていない。高いリスク選好、闘争心、良識や慣行の無視といった要素はあるものの、トランプのやり方は期待値計算が行われているように見られず、直感とゴリ押しに頼りがち。ビジネスマンとしては何度も破産を経験したが、そのキャラクターに目をつけられてリアリティ番組「The Apprentice」のホストとして人気となり大統領にまで成り上がったけれど、そこまで成功しても「ザ・ビレッジ」はもちろん「ザ・リバー」でも仲間として認められないのってなんなの。