Tamara Kneese著「Death Glitch: How Techno-Solutionism Fails Us in This Life and Beyond」

Death Glitch

Tamara Kneese著「Death Glitch: How Techno-Solutionism Fails Us in This Life and Beyond

インターネットの普及によって死の受容がどう変わったかなど、テクノロジーと死の関係について論じる本。

本書は死者がインターネット上のプラットフォームにおいてどのように弔われ記憶されているか、そしてそこに生じるプラットフォーム企業の思惑と人々の期待との乖離や、新たな形の弔いや記憶に伴って生じた労働について論じた第一章、闘病ブログなどインターネットを通して死にゆく経緯が共有されている状況について記した第二章、死者が残したデータを保存したり人工知能を使って死者の人格をチャットボットとして再現する試みや、人間の物理的な死を超越しようとするトランスヒューマニズムについて扱う第三章を経て、ユーザの生存中の生活パターンを学習したデバイスやスマートホームが当人の死後まるで呪われているかのように死者を見かけ上生かし続けるちょっと怖い話について書かれた第四章から成り立つ。

全体を通して著者が訴えるのは、個人のデータや学習された行動パターンを故人の所有物としたうえで死を市場にしようとするテクノロジー起業家たちの狙いが、ネットワークのなかで共同的に作り出された関係性との齟齬を生み出しており、またごく一部のユニコーン企業を生み出すことを目指しほとんどのスタートアップが短期間で失敗することを前提としたシリコンバレーの起業文化が死者のデータや記憶の半恒久的な保存というサービス内容と相性が最悪であることだ。前者でいえば、たとえばフェイスブックは当初大学生だけを対象としており、また若い創業者のもと従業員も若い人たちばかりだったので、人間は死ぬという当たり前のことに考えが至らないまま「一定期間ログインしないアカウントは削除する」という方針を取り、死者のアカウントが弔いや記憶の場になることを想定できなかった。後者については著者は本書の取材のため多数の「死後のデータケア」のためのスタートアップに取材し、また自らアカウントを作ってそれらに登録したけれども、そのほとんどは本書が出版される前に廃業してしまったという。

テクノロジーによる解決が人間の物理的な死やその共同的な受容を理解しないプラットフォームや人工知能にグリッチを起こし、予期されていない結果をもたらしてしまう状況についての刺激的な本だった。あとモルモン教トランスヒューマニズムの部分は個人的に特におもしろかった。