Michael Feola著「The Rage of Replacement: Far Right Politics and Demographic Fear」

The Rage of Replacement

Michael Feola著「The Rage of Replacement: Far Right Politics and Demographic Fear

欧米の右派や白人至上主義者たちのあいだで広まる「グレート・リプレイスメント(大置換)理論」について、さまざまな右派論客や活動家、メディアパーソナリティたちの主張を政治学者が分析し、その本質をあぶり出す本。

グレート・リプレイスメント理論」はフランスの作家で白人至上主義者ルノー・カミュが提唱しまたたく間に世界中に広まった陰謀論で、世界を牛耳る(主にユダヤ人としてイメージされる)エリートたちが移民を意図的に欧米の白人国家に流入させ、白人を少数派に貶め、白人の文化や信仰、社会制度などを崩壊させようとしている、というもの。この陰謀論によれば、人口における白人の割合の低下は、労働力不足による移民の流入や人種や階級による出産率の格差によって自然に生まれたものではなく意図的に起こされている白人に対するジェノサイドだとされており、こうした主張は黒人やムスリム・移民・ユダヤ人たちを標的とした銃乱射事件の犯人たちが残した声明文において頻繁に見られる。またこうした主張はそうした事件を起こしたごく一部の極端な人たちだけのものではなく、FOX Newsなど大手保守系メディアで繰り返し宣伝され、それを主張する政治家たちが各国で勢力を広げている。

グレート・リプレイスメント理論は喪失の感情に支えられたメランコリックな政治であり、かつてあったはずの、本来ならばあるはずの、失われた理想を追い求める。既に通常の政治的な手段では押し止めるのが不可能なほど喪失が進んでいるという意識から、必然的に極端で暴力的な手段が求められる。グレート・リプレイスメント理論の信奉者たちは、それぞれの民族は他者の干渉を受けずに自立し自分たちの文化や社会を守る権利がある、それこそが本当の多様性であるという普遍的な論理と、しかしそうした自立が可能なのは白人による文化だけであり非白人の文化は白人によって管理されなければいけない、という白人至上主義的な認識に引き裂かれ、矛盾した論理を頻繁に採用する。

また、人口における人種の比率に固執するグレート・リプレイスメント理論の支持者たちは、移民政策とともに出生率に大きく関係する女性の身体的・性的自由に対する管理に強い関心を抱く。白人の未来のために白人の子どもをできるだけ多く産むのは白人女性の責務であり、他の人種の男性とセックスする女性はもちろん、避妊したり妊娠中絶を選ぶ女性、男性との性的関係を求めないクィアやアセクシャルの女性や、そもそも女性と自認せず男性やノンバイナリーとして生きる人たちは、白人種に対する反逆者であり裏切り者として厳しい攻撃の対象となる。いっぽう非白人の女性たちは性的に奔放でだらしない女だと自動的に見なされ、白人に対する加害者として攻撃・管理の対象とされる。こうした点でグレート・リプレイスメント理論は白人至上主義だけでなくミソジニストや男性至上主義の運動とも共通点が多く、事実それらの暴力は重なり合っている。最近ではトランプの副大統領候補に指名されたJ.D.バンス上院議員がハリス副大統領の名前を挙げて「子なし女性」呼ばわりし、子どものいる人は子どもがいない人より政治的権力を持つべきだとした発言が注目されたが、これは単なるジョークや失言ではなく、右派政治のなかで女性の身体的・性的自由を社会に従属させようとする文脈のなかで生まれた発言だといえる。

最後に本書は、グレート・リプレイスメント理論が本来の白人至上主義だけでなく、ほかのさまざまな文脈にも応用されている例をあげる。それはたとえば国民の大半がアラブ人であるチュニジアでごく少数派の黒人を自文化保護を口実に排除しようとする運動や、トランスジェンダー女性の存在を女性に対する侵入や攻撃であると非難し、トランスジェンダー女性を認めることは女性という集団そのものを消し去ることだという主張にも見られる。右派論客の論理や白人至上主義者のあいだのさまざまな意見の分析はとても興味深く、要約を読んでいるだけでも不快になるようなこうした対象についてきちんと調査・研究している人の存在は、今後もこうした勢力の暴力と向き合っていかなければいけない側として、とてもありがたい。