Mary Ziegler著「Personhood: The New Civil War over Reproduction」
妊娠中絶の禁止を求める運動がどのようにして胎児の「人格」(パーソンフッド)を法的保護に値するものに祭り上げてきたか分析する本。妊娠中絶をめぐる法的/政治的論争について多数の著作がある法学者の新刊。
著者の過去の著作では、これまでにも「Abortion and the Law in America: Roe v. Wade to the Present」(2020)、「Dollars for Life: The Anti-Abortion Movement and the Fall of the Republican Establishment」(2022)および「Roe: The History of a National Obsession」(2023)の三冊をこれまでツイッター/ブルースカイやブログで紹介してきたが、本書は胎児の権利だけでなくたくさんの問題や論争に関わってきそうな人格・パーソンという概念を扱っており、興味を惹かれた。
50年近くに渡って妊娠中絶の権利を保護してきた判例が過去の最高裁による越権行為であるとして2023年に覆され、妊娠中絶を認めるかどうかは各州に任されることになったが(そしてあっという間に19の州で実質的に中絶が禁止されたが)、反中絶派が目指しているのはあくまで全国での妊娠中絶の禁止だ。胎児には受精した瞬間から法的保護に値する人格があるという論理は魂の存在を前提とした宗教的な認識を人権の言葉で言い換えたものだが、これを認めるかどうかによっては妊娠中絶だけでなく反中絶派が「中絶の一種」とみなす一部の避妊の方法(受精卵の着床を防ぐものなど)や不妊治療の合法性や、レイプの結果による妊娠や母体の生命に危険が及ぶ場合など妊娠中絶を原則的に禁止している州にも残っている例外規定の正当性、妊娠中絶を行った医師や中絶手術を受けた女性をただ違法行為を行ったというだけでなく殺人犯扱いするのかどうかなど、大きな影響がある。
胎児の人格をめぐる法的・政治的な論争は同時に、動物倫理や障害者の権利、さらには企業を含めた法的人格による言論や信仰の自由をめぐる論争などと影響を与えあっている。実際、著者による「Dollars for Life」はまさに胎児の人格を主張する反妊娠中絶運動が企業の政治的権利(ロビー活動や選挙運動に無制限にお金を注ぎ込む権利)を求める極右政治運動といかに連携してきたかを論じたものだった。胎児というか弱い存在の権利を守ろうとする主張が女性の権利や社会的地位を侵害したり、動物の権利を拡張するために使われるパーソン論が同時に重度障害者の尊厳と生存を脅かすように、人格という人権思想に基づいた概念は同時に人権を侵害する道具として使われることもある。権利を守るための権利侵害を横行させないためにわたしたちが「人格」という概念とどう向き合うのかという点について、本書は妊娠中絶以外の議論がちょっと物足りない気もしたけれども、考えるきっかけにはなる。