Mary Ziegler著「Roe: The History of a National Obsession」

Roe

Mary Ziegler著「Roe: The History of a National Obsession

Abortion and the Law in America: Roe v. Wade to the Present」(2020)、「Dollars for Life: The Anti-Abortion Movement and the Fall of the Republican Establishment」(2022)に続く、妊娠中絶をめぐる法的問題についての専門家の新著。

この50年、妊娠中絶を憲法上の権利として認めた1973年のRoe v. Wade判決はほかのさまざまな重要な判例と比べても特に論争の対象となってきた。本書はそのなかから、プロチョイス(中絶合法派)とプロライフ(中絶禁止派)がそれぞれどのようなレトリックを用いてきたか、そしてお互いのレトリックにどう反論したかを追う内容。たとえば中絶合法化は女性が学業やキャリアを継続し自立して生きるために役に立つという論理に対して、妊娠中絶は女性の身体と精神を傷つけるという論理がぶつけられる。そうした主張は医学的に否定されている、というプロチョイス派の指摘に対し、プロライフ派は医学界のトップがリベラルによって占められており科学的事実よりイデオロギーを元に判断していると反論。これはワクチン有害論や温暖化否定論などとも通じる保守派による科学否定の傾向の一部としてとらえることができるが、科学者たちが優生学を推進したり黒人を対象とした差別的な人体実験をしてきた事実などはあり科学に対する不審には根拠がないわけでもない。

妊娠中絶の権利を認めたことは司法の越権行為なのか、それとも50年にも渡って保証されてきた権利を撤回することが越権行為なのか。白人より黒人やラティーナの女性たちが多く妊娠中絶を受けていることは、妊娠中絶が現代でも人種差別的な優生主義の手段であることの証拠なのか、それとも妊娠中絶の権利を取り上げようとする動きこそが人種差別的なのか。プロチョイス運動は当初の「個人のプライバシー権」という議論から、女性の平等権としての妊娠中絶の権利主張、そして非白人女性たちが推進してきた、産むか産まないかだけでなくどのような環境で産むのかまで射程を伸ばしたリプロダクティヴ・ジャスティスの主張まで議論を深めてきたが、いっぽうプロライフ側も女性の権利や反人種差別の論理を自らの主張に(プロチョイスの視点から見ると決して誠実ではないかたちで)組み込んできた。

本書は2023年1月に出版されたけれど、書かれたのはRoe判決が破棄される直前。ほかにも重要な判決はたくさんあるのに、Roeほど長年に渡って両陣営にとって強い感情を引き立て議論を起こしてきたものはない。著者のほかの著作とともに、妊娠中絶をめぐるアメリカでの過去50年におよぶ議論を理解するために必要な本。