Marietje Schaake著「The Tech Coup: How to Save Democracy from Silicon Valley」
2009年から2019年まで欧州議会の議員を務めたオランダの政治家による、シリコンバレーから民主主義を守るための提言の本。テクノロジーの弊害や脅威を訴える本は多いけれど、著者の知識の深さが分かる落ち着いた議論が良い。
著者はもともとテクノロジー畑の出身ではないものの、オランダのリベラル政党の一員として欧州議会の議員となると、暗号通貨関連のコンベンションやハッカー集団カオス・コンピュータ・クラブの大会に参加するなどしてテクノロジーについての専門知識を身につけ、ヨーロッパにおけるプライバシー保護やソーシャルメディアの規制の法制化に大きな影響を与えたほか、国際的に注目を集めている。
著者の基本的な主張は、テクノロジー企業はその他の産業と同じように製品に責任を持つべきだ、という明確なもの。カフェでコーヒー一杯提供するだけでも食品衛生や労働条件などさまざまな規制が存在するのに、テクノロジー企業は何のチェックも受けないまま新しいサービスや製品を世界中に向けてリリースし、各国政府が対応できないスピードでさまざまな混乱を巻き起こしている。また、もともと米軍が政府のためのインフラとして設計したインターネットはその物理的なレイヤーから人々が目にする表層まで急速に私企業による囲い込みが進み、公共の利益より民間企業の利益のための運用が行われた結果、信頼できる情報ソースとしての役割が失われただけでなく、イーロン・マスクがスターリンクによるインターネット接続提供を通してウクライナ軍の作戦に介入したことに象徴されるように、民主主義に対する脅威を生んでいる。こうした流れを止めるためには、インターネットを公共の支配下に置くとともに、国際的な連携によりテクノロジー産業を少なくともほかの産業と同程度には規制する必要がある。
また著者は、弊害の大きさがすでにはっきり確定し擁護の余地がない技術として、スパイウェア、データブローカー、顔認識システム、暗号通貨の四つを挙げている。任意のスマホを監視できるイスラエル企業NSO GroupのペガサスやClearview AIの顔認識システムなどは各国の政府によって反政府活動家の弾圧に利用されているし、Byron Tau著「Means of Control: How the Hidden Alliance of Tech and Government Is Creating a New American Surveillance State」に書かれているようにデータブローカーの存在はオンラインだけでなく人々のあらゆる行動がマネタイズされプライバシーを消滅させた。また暗号通貨は実際には通貨ではなく非認可の投機対象として使われるのが大半であり、子どもの性虐待メディアなどの犯罪的な市場以外で実用性はないほか、大量のエネルギーを浪費している。
これらの技術や、最近注目を集めている人工知能の規制が提案されると、テクノロジー業界は「技術の進歩を止めてしまうと中国やロシアなど権威主義国家がそうした技術を独占してしまう」として反対する。現に、アメリカで成立したテクノロジー規制の多くは、中国に対する禁輸措置や中国製品の輸入禁止など、安全保障を理由としたものばかりで、人権や民主主義を脅かすタイプのテクノロジーについては中国やロシアと同様に政府自らが契約を交わし利用している。ヨーロッパではプライバシー保護や独占企業への権力集中の阻止を理由とした法律が成立したが、EU各国政府にはシリコンバレーのテクノロジー企業に対抗できるだけのリソースがなく、十分に執行されていない。テクノロジー企業によるロビー活動や利益供与に対抗し、公共の利益を守るためには、民主主義そのものを強化する必要がある。
著者が提案する施策には、インターネットやその上に成り立つプラットフォームのうち重要なインフラとなっているものを指定して公共的な目的に沿った運営を義務付けるほか、サイバー攻撃の報告の義務化と公的調査の実施、テクノロジーについて協議する専門的な国際機関の設立など、現在の政治状況において実現可能かどうかはともかく、世界的に注目されるテクノロジー規制の専門家としての意見は参考になる。テクノロジーが民主主義を脅かしている現状をひっくり返し、民主主義を通してテクノロジーを制御するために、いま必要な本だ。