Quinn Slobodian著「Hayek’s Bastards: Race, Gold, IQ and the Capitalism of the Far Right」
フリードリヒ・ハイエクやルートヴィヒ・フォン・ミーゼスらオーストリア学派と呼ばれる新自由主義的な経済学の信奉者たちが、冷戦終結後その勝利に酔いしれるのではなく、「共産主義は人権や環境と名目を変えて存続している、自由主義は依然として脅威に晒されている」として、生物学的決定論を肯定する人種科学や性科学と合流し、権威主義的な極右政治を推し進めてきた経緯を説明する本。
本書が細かく分析するように、ハイエクやミーゼス自身の発言にもいろいろ怪しげな部分はあるのだけど、極右勢力がそれを拡大解釈あるいは曲解し、チャールズ・マレーの人種理論はじめ学問的な主流では否定されるようになった人種や性別、知性・IQについての理論と結びついているのがこれでもかと記される。かれらの考えでは人種間、あるいは男女間のさまざまな不均衡は自然な状態であって、それを是正しようとする試みが成功することはなく、ただ弊害を引き起こすだけ。人間は生まれつきそもそも平等ではないのだから、それを受け入れそれぞれが身の程にあった役割を果たすべきだとなる。まあそういう考え方自体は全く理解できなくもないのだけど、人権や環境の保護を訴える運動を全部ひとまとめに共産主義であり敵だと決めつけて冷戦政治を続行し、それによって極右権威主義を正当化するのはちょっと理解できない。スターリニズムは自由の敵だとか言いながら、あんたら権威主義大好きじゃん。
本書によると、極右的な新自由主義は三つの「ハードな」理解を要求する。それは人の能力や性質は生まれつきだとするハード・ワイアードな人間観、資本や物品を世界中自由に行き来させるかわりに国境を超えた人間の移住を許さないハードな国境、そして金本位制やそれに類した制約のもとでの財政を強いるハードなマネー。まあ自分たち白人男性をトップに据えるために知性や能力を自分たちに都合がいいように画一的に定義して正当化するだけの論理に見えるし、資本や物品が地球上を駆け巡るのは一切制限されるべきではないが労働力の移動は許せないとか、いろいろ見苦しい。「ハード・マネー」云々に至っては、経済運営は金本位制のようにしっかりとした根拠を持つべきと言いつつ、同じ人たちが何の後ろ盾もない仮想通貨を賞賛してたりして、政府が再分配や人権・環境保護を行うだけの権力と財源を奪いたいだけであることもはっきりしている。再分配反対や人権政策反対を主張するのは別に構わないんだけど、そこに変な正当化を結びつけて共産主義と戦う自由の戦士ぶるのがキモい。でもそれが実際に権力を握ってしまっているのがひどい。