Lee Hawkins著「I Am Nobody’s Slave: How Uncovering My Family’s History Set Me Free」

I Am Nobody's Slave

Lee Hawkins著「I Am Nobody’s Slave: How Uncovering My Family’s History Set Me Free

暴力的な父と愛情を示さない母のもとトラウマを抱えて中西部ミネソタ州で育ったウォールストリート・ジャーナルの黒人男性記者が、ジャーナリストとして一家のルーツである南部アラバマ州で何が起きたのかを解き明かすことで両親への理解とトラウマを後の世代に引き継がない覚悟を得る本。

著者は生まれてから最初の数年のあいだ自由な行動や発言を許されていたが、5歳になる頃には白人の周りでどう振る舞うべきか厳しく教えられ、理不尽に怒られたり体罰を受けたりするようになった。たとえばある日、学校の子どもに誘われてよく知らない白人の子どもの誕生日パーティに飛び入り参加したところ、親が知らないうちに子どもが他の子の家に行ったら心配するだろうと思って白人の子どもの母親が著者の親に電話したところ、著者の母親は「勝手にお邪魔してすみません」と何度も過剰に謝罪するとともにすぐに迎えに来て厳しく罰すると伝えた。また別の件でも著者が学校で白人の女の子に対してどぎつい悪口を言ったところ、著者の父親が女の子の親に電話してやはり過剰に謝罪するとともに、電話の向こうに聞こえるように大きな音を立てて著者をベルトで何度も叩いた。そういうことがあるたび、両親は著者に対して「お前のせいで一家全員が殺されたらどうするんだ」と叫んだが、当時の著者はそれが理解できず、理不尽な体罰を受けているようにしか感じられなかった。

しかしかれらのそうした恐怖は、決して理由のないものではなく、自分の立場を忘れて白人の空間に侵入したとか、白人の女性にちょっかいをかけたなどの理由により、殺人や放火などの被害を受けてきた南部の黒人たちの経験に基づくものだった。著者の両親はだからこそ、白人に「迷惑をかけようとした」息子に対して、白人たちが暴力をふるうまえに率先して暴力をふるうことで、子どもと一家を守ろうとしたのだった。また黒人の母親たちは、奴隷制によって自分が生んだ子どもが自分から引き離されて売られたり、リンチなどの暴力によって奪われることへの自己防衛として、子どもに対する愛情を留保したり表に出さないようにすることが何世代も続いていた。子どもだった著者が当時それらを理解できるはずもなく、また仮に理解できたところで愛情を与えられず暴力を振るわられて育った事実も消えないが、著者は次第にそうした歴史的背景に気づき、両親に対する理解を得るとともに、自分の子どもには同じようなトラウマを引き継がないと決意する。

また著者は、DNA検査によって自分に白人の血も流れていることを知り、祖先を奴隷として所有していた白人家庭の男性が祖先の女性をレイプしたか、隷属関係にあったなりに何らかの「同意」があったかは分からないが、とにかく性的関係を持ったであろうことを発見、より資料が多く残っている白人の家系資料から白人の親戚を特定して取材する。多くの白人は自分の祖先が奴隷所有者であったことを認めなかったり、そういうことがあったとしても考えたくないと思っているが、著者は取材に応じてくれる人を探し当て、奴隷解放後の元奴隷所有者の一家の過去を聞き取る。そのなかで著者は、奴隷制において当然のものとされていた弱いものへの体罰が、白人家庭の中でも代々受け継がれてきたことを知り、もちろん元奴隷の一家と元奴隷所有者の一家は対等ではないとはいえ、奴隷制の傷跡はどちらの家庭にも残されていることに気づく。

自分の子ども時代のトラウマに向き合い、その背後にある自分の一家の過去と奴隷制やジム・クロウの歴史を紐解くことで、世代横断的なトラウマの連鎖を断ち切ろうとする本書は、ジャーナリズムの枠を超えたジャーナリズム。とにかくすごい。