
Kristin Collier著「What Debt Demands: Family, Betrayal, and Precarity in a Broken System」
大学からの卒業と高校教師としての就任を前にして自分に身の覚えのない多額の借金があることを知った著者が、その借金の原因となったギャンブル依存症の母による裏切り、父の闘病と医療費を集めるためのクラウドファンディングなどを経て、貧しい人たちに一生かけても払いきれない負債を負わせて食い物にするさまざまな経済的な仕組みを告発するホン。
著者が知らないまま数千万円に相当する借金を負った直接の原因は、ギャンブル依存症になった母親が彼女の名前を勝手に使って実際に必要な授業料や生活費をはるかに超える学生ローンを勝手に組み、そのことを隠したまま返済を行わず、しまいには職場のお金を使い込んで逮捕されたことにある。しかしその背景には、徹底したデータ解析によって依存症を引き起こすように意図的に設計されたカジノの仕組みや、学生ローンの債権者がほかのローンに比べて法的に保護されているのをいいことに本人確認や返済能力の検証もしないまま貸し出し多くの若者たちの人生を支配する金融の仕組み、貧困からの脱出を目指す貧しい若者たちを標的にして怪しげな学生ローン業者と組んで高い授業料を搾り取る営利目的大学の存在、実際にはさまざまな罠があり受給するのが難しい救済措置をちらつかせて学生ローン負債を抱えた若い労働者を安く使い潰す行政や社会福祉の制度など、さまざまな問題が絡み合う。
新古典派経済学では、教育は人的資本に対する投資だとされていて、人的資本の拡大は誰にも奪うことができない本人の財産となる(大学で学んだ知識や経験を第三者が差し押さえることはできない)ので、利益を得る当人がその費用を支払うべきだとされる。もっとも投資する資金(学費)がない人もいるので、そういう人たちは学生ローンを組んで将来得られる収入を前借りして学費を払い、卒業してより高い収入を得た時点で借金を返済すべきだ、とされた。しかし論理に基づいた高等教育への公的支援の削減とともに学費が高騰し、また政府が学生や大学への直接の支援をするかわりに学生ローン業者の保護を優先した(学生ローン業者を優遇することでローンを増加させ、政府の資金を支出することなく貧しい学生が学費を工面できるようにした)結果、卒業しても背負った多額の借金を返済できるほどの収入を得られず、払える範囲で払っていても全て利息に消え一生かけても返済できない人が増える。学生ローンは本人の人的資本への投資であるという理由から個人破産を申請しても原則として解消されないため、ローン業者は破産により回収できなくなることを恐れず、貸せるだけ貸して元本への返済をさせないまま、生かさず殺さず生涯にわたり負債者を食い物にすることができる。
著者の場合はギャンブル依存症になった母親が勝手に契約したもので、署名も偽造だし明らかに詐欺にあたるのだけれど、学生ローン業者の側は「だったら母親を個人情報窃盗で告発しろ、逮捕され有罪になったら考える」という態度。本人確認がなかったことや署名が本人のものとは似てつかず母親のものと酷似していることを示しても、それが裁判で証明され借金は無効だという判決が出ない限りは著者に支払いを求め、自宅だけでなく職場にまで毎日何十本もの督促の電話をかけてきて、給料の一部が差し押さえされる。職場で噂話をされて嫌な思いをしたり、多額の借金に相手を巻き込んで一生負担をかけることを恐れて付き合っている相手との結婚も考えられない。また仮に母親を告発しようにも、母親は「娘の学費のため」として大勢の親戚を巻き込んで個々のローンの連帯保証人にしていたため、仮に著者本人が借金返済から逃れられたとしても善意で連帯保証人になった親戚全員に迷惑がかかってしまう。
なかでも辛かったのは、父親が肺がんにかかり、医療費の支払いができなかったこと。多くの人たちと同じように著者の一家もクラウドファンディングによって知人・友人からの寄付を募ったが、母がギャンブル依存症で職場のお金を使い込んで逮捕された過去を知っている人たちからは、「あんなことしてなければ医療費を払えたはずなのに」と噂される。実際のところ、アメリカでは医療費が支払えずに本来より早く亡くなっていく人はいくらでもいるし、家族の命を救おうと無理した結果、個人破産に追い込まれる人たちも大勢いる。というより個人破産の多くのケースでは医療費の支払いが負債の大きな部分を占めている。しかし借金に苦しむ人たちは自己責任を突きつけられ恥の感情を植え付けられ、自分の人生を生きることを諦め一生かけても払いきれない負債を払い続けるために飼い殺しにされる。
著者はかつて母親がそうだったように刑務所に収監されている女性たちに詩を教えたり、個人破産を申請している人たちに義務付けられた「経済的リテラシー」のクラスを受講、さらには学生ローンやその他の負債に苦しむ人たちが貧困のスパイラルを生み出す制度に反対する運動に参加するなどの経験を通して、貧しい人からさらに搾り取り、利益と減税を通して金持ちをさらに豊かにする社会制度を告発する。こうした運動に後押しされバイデン政権が推し進めようとした学生ローン負債者救済やコミュニティ・カレッジ無償化といった施策は最高裁(とジョー・マンチン議員)によって阻まれ、第二次トランプ政権下ではさらに富裕層への利益誘導が進められているのが現在。
読んでいるだけでとにかく息苦しい内容だけれど、実際に著者が生き抜いてきた状況はもっとずっと苦しいはず。ただの貧困ではない、生きる希望も将来の夢も根こそぎ奪い取り押し潰すような世の中の仕組みを正面から告発し、その息苦しさに読者を巻き込む、いまとても必要な本だと思った。