Keith Ellison著「Break the Wheel: Ending the Cycle of Police Violence」

Break the Wheel

Keith Ellison著「Break the Wheel: Ending the Cycle of Police Violence

元下院議員でミネソタ州司法長官として黒人男性ジョージ・フロイド氏を殺害した警察官デレク・ショーヴィンを起訴し有罪判決を勝ち取った著者が事件から裁判のあらましまで詳細に語る本。

人権派弁護士から政治家に転身した著者は、連邦下院議員を経て2018年にミネソタ州司法長官に立候補し当選。2020年5月末にジョージ・フロイド氏が警察官のデレク・ショーヴィンに殺害されると、本来ショーヴィンを起訴する立場にあった郡検察官が記者会見で警察寄りの発言をして批判を受けた結果、遺族や州知事の要請で著者がショーヴィンの裁判を担当することに。被告側の弁護士や被告に同情的な右派メディアがフロイド氏に関するデマや不正確な情報を宣伝するなか、裁判がはじまる前に公の場で反論することもできず悔しい思いをしながら、起訴事実を固め、医学や警察の専門家を集め、陪審員選出の駆け引きをするなど寝る時間も惜しんで裁判に集中した著者とかれのスタッフたちの仕事ぶりが細かく記述される。

また、著者はスタッフや周囲の人たちと話すなか、この裁判の本質が法医学や警察の権限や責任といった法的な論争だけではなく、フロイド氏が殺される現場に居合わせた多くの証言者たちの経験を陪審に共有することだと理解する。フロイド氏殺害の現場を撮影した当時17歳のダーネラ・フレイジャーさんの動画や警察官自身が身につけていたボディカメラ、街頭に設置された防犯カメラなどの記録などが示すのは、ショーヴィンとかれの同僚たちがフロイド氏を殺害し、またかれを助けようとする人たちを威嚇していたそのとき、少なくない人たちがそれを殺人行為だと正確に認識し、止めようとしたり、フロイド氏の脈を確認させて欲しいと懇願したり、ほかにどうすれば良いのか分からずに警察による殺害が起きていると警察に通報していたことだ。警察による暴力が頻繁に起きているこの地域で、警察に抵抗すればあとでどのような報復を受けるか分からないなか、かれらは精一杯その場でできることをやろうとし、そしてフロイド氏を救えなかったことで自責の念を抱いた。

わたしはフレイジャーさんが撮影した動画は見ていない。見なくても何が起きたかは十分理解できたし、一般市民が警察によって殺されるシーンをわざわざ見たいとは思わなかった。けれどこの本では動画に写っていたものが、誰がいつ何を言ったのか、どう行動したのかまで全部秒単位で説明されていて、それを読んであらためてその場に居合わせた多くの人たちが経験したトラウマを漠然とではなく具体的に想像することができるようになり、ショックを受けた。ショーヴィンは裁判で有罪判決を受けたが、これはあくまでごく例外的なケースで、大多数の同様の事件では警察は起訴されないか、起訴されても無罪になるか殺害とは関係のないごく軽い罪に問われるだけ。ショーヴィンの事件において刑事裁判がうまく機能したというよりは、市民運動がうまく機能したおかげで裁判が通常とは異なる、より公正な結果をもたらした例だと言える。

著者が州司法長官に立候補するために下院を離れたとき、アメリカ初のムスリムの国会議員であり将来有望なかれが州知事ならともかく州の司法長官に転身することを残念に思ったけど、いまとなってはかれがあの時ミネソタ州司法長官で本当によかった。かれは記者会見で失言した郡の検察官を本当は良い奴だみたいに言っているけど、市警察や郡検察局は当初から殺害に加担した警察官たちに有利な発表や記録をしていて全然信用ならなかったし、著者以外の司法長官なら同じだけの情熱をもってショーヴィンの犯罪を追求することもなかった可能性が高い。しかし考えてみれば、あれだけの大規模な市民運動がなければ、そして著者のような人権派弁護士の背景を持つ黒人の司法長官がたまたまその地位にいなければ実現しなかった「正義」は、ほんとうに頼りないし信用できない。