Kathryn Paige Harden著「The Genetic Lottery: Why DNA Matters for Social Equality」

The Genetic Lottery

Kathryn Paige Harden著「The Genetic Lottery: Why DNA Matters for Social Equality

遺伝子研究の専門家による、いわゆる「遺伝子ガチャ」と社会的な平等・公正についての本。古くからある双子研究などに加えゲノムワイド関連解析(GWAS)など遺伝子研究の最前線において明らかにされつつある、ヒトの遺伝的形質と社会的・経済的な成功の関連性について解説した前半と、そうした研究が優生主義や社会的ダーウィニズムに利用されてきた歴史を踏まえたうえで、それらに対抗しより平等かつ公正な社会を目指すための指針を掲げる後半に分かれる。

遺伝子研究は今後さまざまな医療や教育の改善に活かせる可能性があり、その恩恵をより多くの人が受けるためには多様な人たちの遺伝子をデータベースに入力する必要があるけれど、現時点のGWASでは欧米の白人のデータが大半を占めている。白人研究者たちの人種差別的な研究におけるサンプルとして搾取され、優生主義による迫害を受けてきた非白人が大規模なゲノムデータベースに懐疑的になるのは当然だが、十分なデータが得られないと医療は白人のデータを元に発展してしまい、白人と非白人のあいだの健康格差がいま以上に拡大してしまう、というジレンマがある。いずれにせよ今後より多様なゲノムデータの蓄積は確実なので、その解釈を人種の優劣を論じる白人至上主義者に独占させないためにも、より真剣に遺伝子に向き合う必要がある、と著者は主張する。

また著者は、女性が教育を受けられなかった時代の例などを通して、遺伝子の影響が差別的な社会制度や社会的環境によって制約を受けることを示すと同時に、メガネやその他の補助器具の発明と普及によって遺伝的形質による格差が埋まった例も挙げ、データとして見られる遺伝子の影響が社会的変革を求める運動と両立することを示す。むしろ、遺伝子による影響が予測されるのにそれが観測されない場合など、遺伝子研究が差別や環境汚染など社会的な問題を発見する手助けになるとも指摘する。

遺伝子研究は白人至上主義者だけでなく「ヒトの生物学的多様性」をキーワードとする保守的な論客(インテレクチュアル・ダークウェブ)らに利用されることも多い。かれらは社会的格差の原因の多くに遺伝的形質の影響があると主張し、したがって社会的な格差の存在は差別や不公正だけが理由ではない、と主張する。そうした論理に対抗するために、差別や優生主義に反対する立場の論者は、遺伝子研究そのものや研究者たちに疑いの目を向け、その成果を矮小化したり無視したりすることがある。著者はそうしたリベラルにありがちな態度を、人種差別に対抗するのではなく「人種が存在しないかのようにふるまう」カラーブラインドの姿勢になぞらえる。そのうえで著者は、人種差別に対してカラーブラインドではなく反人種差別主義が必要であるように、優生主義に対しては「ゲノムブラインド」な態度ではなく遺伝子の影響を認めたうえで反優生主義が必要である、と強く主張する。著者が主張する遺伝子研究やその社会的利用における反優生主義的なアプローチは、遺伝子の影響を認めたうえで、それを人々を分類するためではなくより多くの機会を与えるために、そして排除するためではなくより平等になるように使う、遺伝的な運のめぐり合わせを人の優劣を付けるために使わない、ロールズの「無知のヴェール」を遺伝子にも適用し社会制度を設計する、など。

遺伝子研究の専門家である著者が社会的公正についてがっつり考えてこういう良心的な本を書いてくれたことはすごく嬉しいのだけれど、現実に社会の中で優生主義的な主張がかなりの影響力を持っている以上、遺伝子研究の進展に不安を感じ、ゲノムブラインド的な態度を取ってしまうことにはそれなりの合理性があるように思う。遺伝子研究を無視した施策の追求がより有効な社会的・経済的格差を是正する施策を実施する機会を損なっている、という主張にも頷けるのだけれど、遺伝子研究に真摯に向き合えばより良い施策が実現するかというとそれも怪しいし。いろいろ考えさせられるのだけれど、とりあえず遺伝子研究を悪用する白人至上主義者や優生主義的な保守論者に対抗するための知識にはなったと思う。