John McWhorter著「Pronoun Trouble: The Story of Us in Seven Little Words」

Pronoun Trouble

John McWhorter著「Pronoun Trouble: The Story of Us in Seven Little Words

英語の代名詞の歴史とほかのさまざまな言語との比較をとおして代名詞をめぐる論争に専門家としての視点を提示する本。著者は2020年にブラック・ライヴズ・マター運動が拡大したとき、反差別を掲げる白人リベラルの欺瞞を指摘したり差別的な言葉や表現に対する言葉狩りを批判して「保守派」とみなされるようになった黒人男性言語学者だが、言葉のタブーについて扱った「Nine Nasty Words: English in the Gutter: Then, Now, and Forever」以来となるかれの専門分野の著作でありめっちゃおもしろい。ただしわたしは英文法オタクでありあくまで(当社比)であることに留意。

代名詞の現代的な論争といえば、ジェンダーをめぐる議論に関わる単数のtheyやheやsheに代わるzeなど第三・第四の代名詞が思いつくが、それが登場するのは本書の一番最後。それまでの大部分をかけて、本書は代名詞が歴史的に決して一貫した用法やルールに基づくものではなかったこと、言語や時代によってさまざまな違いがあることを示しつつ、一般的には「崩れた英語」だと思われがちな黒人英語や南部アメリカで使われる方言的な表現にはそれなりの複雑な論理が存在することを指摘する。youが単数と複数を同時に担当することになったせいであくまで区別を求めようとする人々が生み出したのが南部英語のy’allや男女共通のyou guysであるという指摘とか、黒人英語でn____やbitchが使われる際の目に見えない論理を解き明かそうとする部分などおもしろい。あとインド・ヨーロッパ系の言語だけでなく中国語や日本語まで比較に出てきて、言語学者すごいと素直に思ってしまう。

単数theyの話に戻ると、theyは歴史的にも古くから単数三人称の代名詞として使われていたし、現代でもジェンダーとか関係なく意識しないままみんな使っているものだし、もともと単数か複数かによってthouとyouに分かれていた英語の二人称代名詞がどちらもyouに統一されたことから分かるとおり、単数theyの普及にはなんの問題もないとしつつ、代名詞は言語にとって基本的な部品だからこそチェアマンをチェアパーソンと言い換えたようには簡単に言い換えることはできず、とくにzeをはじめとする新たな代名詞の一般化は難しいと著者。まあzeとか新しい代名詞を使う人は必ずしもそれが一般化することを目指しているわけじゃなくて、自分はこう呼んでほしいと言っているのが大部分だと思うので、仮に全然流行らなくて将来的に廃れたとしても、zeと呼んでほしい人がいる限りはその意思を尊重すればいいんじゃ。