Michael Steinberger著「The Philosopher in the Valley: Alex Karp, Palantir, and the Rise of the Surveillance State」

The Philosopher in the Valley

Michael Steinberger著「The Philosopher in the Valley: Alex Karp, Palantir, and the Rise of the Surveillance State

ピーター・ティールとともにパランティアを創業しそのCEOを務めてきたアレックス・カープの伝記。ユダヤ系の哲学者としてユルゲン・ハーバーマスらのもとでかつてドイツ民衆がどのようにしてナチズムに引き込まれていったかを考察していたカープが、どうしてトランプ政権のファシズム的な政策を支えるようになったか、その経緯を追う。ヤバめのヤバい人。

カープはユダヤ系白人の父と黒人の母を持つミックスで、一部では数少ない黒人の億万長者の一人としても数えられるが、かれ自身は黒人社会との繋がりがなく外見上も黒人っぽく見られないので、黒人の母を持つことを発表するまでそのことは知られていなかった。重度のディスレクシアを持ちながら哲学に興味を抱き、ドイツ哲学の伝統に強く惹かれるとともに、多くのユダヤ人たちを死に追いやったナチズムがどのようにしてドイツで支持を広げてしまったのか、という戦後に生まれた第二世代のフランクフルト学派の関心に共感し、実際にドイツに渡ってユルゲン・ハーバーマスらのもと学ぶ。

卒業後、アメリカに戻ったカープは、かつてスタンフォード大学法学校に通っていた時期に親しくしていたピーター・ティールと再会し、ティールの資金でパランティアを設立する。当時のアメリカでは9/11同時多発テロ事件を受け、政府のさまざまな情報機関がテロを抑止するために十分な情報を持っていながらデータが共有されていなかたり分析ができていなかったせいで事件を阻止することができなかった、という議論が起きていたが、そうした大量の、しかし書式がバラバラだったり政府のさまざまな機関やポジションに分散して保存されていたデータをひとまとめに分析するためのツールを提供し、テロリズムからアメリカを守ることがパランティアの掲げた目的だった。

経営者としてのカープは、哲学者としての背景を持ちテクノロジーやビジネスの経験が皆無、しかも創業当時すでに30代後半という点で、シリコンバレーのテック起業家としては異色。ほかの起業家たちが失敗を恐れず、むしろ失敗するならできるだけ早く資金を使い果たして派手に失敗して次のチャンスに活かすという考えを持ち、数年のうちに市場上場や他社による買収によって大金を掴んでエグジットすることを目指していたのに対し、何度も起業するだけの時間もテクノロジーへの情熱もないカープはパランティアを長く続けて利益をあげることに力を注いだ。また、ほかのテックスタートアップと競ってトップエンジニアを高級で雇うのではなくアメリカ防衛に信念を持つエンジニアを集め、他社に比べると給料は低くてもかれらの貢献を尊重し、またカープ本人もかれら以上の給料を受け取ろうとしないという、当時の他のテックスタートアップに比べればかなりまともな経営方針を取った。

パランティアは短期的な利益よりアメリカ及び自由主義諸国の防衛を優先しており、既存の国防産業の利権に切り込んで情報機関や軍など政府機関を相手に商売するのは難しいのではないかという懸念から、ティール以外のベンチャーキャピタルからの出資を集めるのには苦労した。しかしCIAによって設立された半官半民のベンチャーキャピタルから資金を取り付け情報分析ツールを開発すると、対テロ戦争の前線で戦う軍人や情報官から支持を集める。すでにほかの情報分析システムを導入していた陸軍の抵抗などがありながらも、次第に政府機関との契約を勝ち取り、またより早急に利益をあげるために一部の民間企業との契約も進めた。

さまざまな部署に分散されて保存されているデータを連携させ高度な分析を可能にすることは、人々のプライバシーを侵害したり個人情報を悪用し人権を侵害するために使われる危険をともなう。たとえばある銀行が詐欺や不正送金を阻止するためにパランティアのシステムを導入したが、実際には労働者の監視を強化し労働条件を悪化させることに使われるなど。また各地の警察組織に導入された際は、ソーシャルメディアの分析などを通して本来は犯罪になんの関係もない(多くは黒人の)市民がギャング関係者だと判断され、過剰な監視や干渉に脅かされた。カープはこうした懸念に理解を示しつつ、パランティアならプライバシーとセキュリティを両立させたシステムを提供できるとして、自由主義へのコミットメントを持たないほかの企業に任せた方が危険だと主張した。

実際、パランティアはアップルやグーグルなどと異なり中国への進出は行わなかったし、ロシアやサウジアラビアの政府や企業との契約も行わなかった。しかしどれだけきちんとしたプライバシー保護機能をつけたとしてもそれがどう使われるかは顧客次第だったし、「アメリカを守る」軍や情報機関が行う人権侵害について問われても「われわれはツールを提供しているだけで、それがどう使われるかは民主的に選ばれた政府が決めることであり、ツールを提供する企業が国の方針を左右するべきではない」ともっともらしい言い訳をするだけ。グーグルが社員の反対により軍用AIのプロジェクトから撤退した際には、仮想敵国である中国に進出して中国の軍事強化に加担しておきながらアメリカの防衛に協力しないグーグルをカープは強く非難した。

ピータ・ティールとトランプとの関係から、トランプ政権ではパランティアが優遇されているという意見が相次いだが、少なくとも第一次トランプ政権ではむしろ右傾化し過激さを増すティールの発言がパランティア経営にとって悪い宣伝になっただけでとくに優遇されてはいなかったと著者。創業から20年近くたっても利益を出せずティールも見放しかけていたパランティアの逆転のきっかけは、コロナウイルス・パンデミックの際に感染者の追跡や不足する医療器具の分配と移送、のちに開発されたワクチンの分配などにおいてパランティアのデータ分析ツールがアメリカ政府だけでなく国際機関などでも採用されたこと。トランプ政権下ではじまったパランティアの大規模な導入はバイデン政権下でも続けられ、コロナウイルスとの戦いで重要な役割を果たした。

ロシアによるウクライナ侵攻では、ドイツにある米軍基地経由でウクライナに間接的にパランティアのシステムが提供され、欧米諸国からの軍事支援の管理や軍事作戦の展開だけでなく、戦時中のウクライナ人の生活インフラストラクチャーを支えるためにも採用された。またウクライナに出向きゼレンスキー大統領と面会したカープは、力強く闘志のあるユダヤ人指導者としてゼレンスキーに自身を重ねる。そしてカープのそうした思いを決定づけたのが、2023年10月、ハマスによる攻撃をきっかけにはじまったイスラエルのガザ侵攻。カープはイスラエルの全面支持を表明し、イスラエル軍やイスラエルの情報機関にパランティアの技術を提供するとともに、ガザへの連帯を表明する学生たちへの批判を強め、トランプら極右による「ウォーク」批判と言論統制に加担していく。ティールの弟子であるJDヴァンスを副大統領候補に指名したトランプが2024年大統領選挙で当選すると、カープはティールやイーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグらと並んでトランプのもとに集まり、過剰な移民排斥や大学やメディアへの攻撃など言論統制を行うファシスト政策にパランティアのシステムを利用させた。

もともとカープは西洋的な社会民主主義者であり、また文化的多様性を尊重する立場だった。事実、最近までカープは選挙で民主党の候補を支持し献金もしており、2016年の大統領選挙でトランプがイスラム教徒のデータベースを作ると発言した際には、仮にそうしたデータベースが作られるとしてもパランティアは参加しないと明言していた。イスラエルによる軍事侵攻や占領政策に批判的な学界や左派の「ウォーク」や「アイデンティティ政治」を否定しイスラエルを一方的に擁護するカープの主張が、ユダヤ人としてのかれ自身のアイデンティティ政治に基づいていることや、自由主義を守るためにパランティアを設立したはずなのにその自由と民主主義の破壊の先頭に立っていることなどを考えると、イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグ、ピーター・ティールらが学生時代の逸話からしてもまあもともとそういう奴だった、としか思えないのに対して、カープの変節は痛々しい。

ファシズムへの反省と考察を深めたフランクフルト学派第二世代に影響を受けた哲学者だったカープがどういうわけかファシズムの片棒をかつぐようになっていることを象徴するのが、ことしはじめにカープが出版した本「The Technological Republic: Hard Power, Soft Belief, and the Future of the West」においてドイツ人作家マルティン・ヴァルザーについて言及する部分。かつて左派知識人とみなされていたヴァルザーは1998年のスピーチで、ホロコーストを歴史的事実と認めつつその行為と無関係な現世代のドイツ人が恥の意識を持たされていることを批判して大論争を巻き起こしたが、カープは博士号論文でこの発言をファシズムのレトリックだと批判していた。しかし「The Technbological Republic」では同じ発言を反「ウォーク」の文脈に読み替え、社会的論争を巻き起こした勇気ある発言として褒めている。

本書ではカープを長年に渡って取材してきた著者の「あなたはいまでもトランプはファシストではないと考えているのか」という質問を、カープがはぐらかしはっきり応えようとしなかったことが書かれていて、まあイスラエルへの絶対的な支持は本心としてもトランプへの追随はそうじゃないのかな、とは思うけど、完全に壊れてしまう前にパランティアを引退して自らの生き方を哲学的に検証したほうが良いのでは。