
Robin Boyle-laisure著「Taken No More: Protect Your Children Against Traffickers and Cults」
カルトと人身取引から子どもを守る方法を伝授する本。著者はもともとカルト問題の専門家で、人身取引においても(とくに性的人身取引)カルト的なマインドコントロールの手法が使われることがあること、カルトの中には自己啓発セミナーからはじまったNXIVMのように人身取引を伴うものがあることなどから人身取引にも専門を広げようとしている様子。
著者がカルト問題専門家から人身取引問題専門家へとフィールドを広げようとしているのは、双方の問題の共通点があるからというより、自分の子どもが(主に非白人男性に)騙されたり誘拐されて性的人身取引の被害者となることを恐れる白人中流家庭のモラル・パニックが猛威をふるうなか、人身取引問題のほうが教育予算などからお金を引き出せて「専門家」として仕事をするチャンスが多いからではないか、という印象を受ける。性的人身取引について著者が挙げるデータは捜査機関や一部の(宗教右派系を中心とした)非営利団体が出している根拠のない、研究者たちに既に否定されている数字が多い。
また、実際に子どもやティーンエイジャーに対する性暴力を行う人の大半は家族・親戚や隣人、学校や教会やスポーツクラブの関係者など身近な人が多いのに、やたらとソーシャルメディアやゲームを通した赤の他人の危険を説いたり、性的人身取引の被害を受けている未成年の多くはもともと家庭内で虐待を受けていたり居場所がなかったりそもそもまともに育つ環境がなかった人なのに、子どもの安全を心配する白人中流家庭とかれらが住む裕福な郊外の学校区に人身取引予防プログラムを売り込もうとしたりと、言っていることがちぐはぐ。「知らない大人は危険だからついていくな」と教えるのではなく具体的にこういう行為には気をつけろと教えるべきだ、など有効なアドバイスもあるけれど、実際の被害者の多くはそういう自衛措置を取ることができる層の出身ではない。ていうかカルトと性的人身取引の関連性の話がほぼNXIVMだけなんですけどそれってサンプルとしてどうなの?
カルトと人身取引、そしてドメスティック・バイオレンス(DV)に共通するパターンとして近年coercive control(威圧的な支配)という言葉が使われており、本書でもこの概念が採用されている。これはドメスティック・バイオレンスの本質を殴る蹴るといった個々の行為ではなく継続的に支配的な関係を維持する行動のパターンであるとする考えに基づいていてわたしも賛同している(ていうか反DV業界で積極的に拡散してきた)けど、著者は一部の州で広まっているcoercive controlの犯罪化を無批判に称賛し、その拡大を訴えている。わたしを含め反DV業界の人たちがcoercive controlの概念を広めた理由の一つは、刑事司法制度、とくにDVの現場に駆けつけた警察官に関係性上のパターンを判断することは不可能であり、実際には被害者として扱われるべき人が自分や子ども、ペットなどを守るために取った行為が刑法犯罪として処罰の対象となり、その結果DV被害をさらに悪化させてしまう事態が頻発していることへの批判であり、警察によるDV取り締まりの限界を指摘しつつそのオルタネイティヴを推進するためであり、警察にそうした関係性のパターンに踏み入らせて逮捕させるためではない。事実、ワシントン州でcoercive controlを犯罪と規定する法案が提出された際には、わたしを含め州内の反DV・反性暴力の活動をしている団体や活動家たちが一斉に反対の立場を表明した。
しかし人身取引の問題にもDVの問題にも詳しくなく反DV運動内の議論も知らない著者は、coercive controlを犯罪として規定することに手放しで賛同し、それが被害を抑止し被害者を救済することに繋がると信じ込んでいる。反DV運動や反人身取引運動の数十年の蓄積を無視してカルト専門家としての知識を適用するのは迷惑。ていうかカルトに関する部分はわたしの専門ではないので評価できないけど、人身取引やDVについての部分があまりに時代遅れ過ぎてカルトの部分も実はあんまり信用できないのではと疑っている。
あとタイトルの「Taken No More」は性的人身取引に対する誤解を大々的に広めた映画「Taken」から取られているみたいでうんざりするし、表紙の写真、子どもが悪者に騙されて連れ去られる危惧を表していると思うのだけど、どう見てもその窓からは子どもが外に出られませんから!