Emma Holten著「Deficit: How Feminist Economics Can Change Our World」
「女性は社会に赤字をもたらしている、社会にとって負債である」という記事に怒ったデンマークの著名フェミニストが書いた反撃の本(の英訳)。フェミニスト経済学について知りたい人にお勧め。
女性が社会に赤字をもたらしているとはどういうことか。それは、女性は出産・育児のために賃金労働を休み、そのあいだ国内総生産(GDP)に寄与しないまま、公共のリソースにただ乗りしてコストだけはかけているという意味。デンマーク政府の税収や福祉支出のデータを挙げつつ、女性は生涯において男性に比べて少ない税金しか払わないのに、産休・育休制度などを通した公的支援をより多く受け取っていると論じるこの記事は、多くの女性たちが日々行っている出産・育児や家事などの社会再生産労働への評価の低さとともに、データに基づいた客観的な科学を自称する主流派経済学の限界を表している。
主流派経済学では、賃金が発生しない社会再生産労働はGDPに計上されず、したがってその価値はないものとして扱われる。しかし仮に社会に赤字をもたらす女性がいなくなったら男性だけでより裕福な暮らしができるかというとそんなはずもなく、結局誰かが社会再生産労働を行わなければ社会は成立しない。主に女性が担っている社会再生産労働の価値を正当に評価しようという主張は、価値を金額に換算してGDPに含め社会貢献として認めようというリベラルな立場から、家事労働への正当な賃金を要求することを通して資本主義の矛盾を明らかにしその転覆を目指すシルヴィア・フェデリーチらマルクス主義フェミニストの立場までさまざまある。
フェデリーチによると、資本主義は家事労働(いまでいうところの社会再生産労働)が労働であることを隠蔽し、女性が家族への愛情から自然と無償で行うケアとして規定した。それを労働として正当に評価すべきだと考える人のなかでも、しかしケアを金銭的価値に換算するのは違うのではないか、それはケアの本質からかけ離れてしまうのでは、と反発する人は少なくないが、著者は社会再生産労働には主流派経済学によって既に金銭的価値が決められており、それはゼロなのだと指摘する。しかし価値がゼロとされたものに単純によりマシな値札を付けるだけでは、ケアのさらなる市場化や社会再生産労働のギグ・エコノミー化を推し進めてしまう。
Premilla Nadasen著「Care: The Highest Stage of Capitalism」でも論じられていたとおり、かつて社会再生産労働は市場の外にあるとされ、しかし市場における生産や消費を支える不可欠なものとされた。しかし雇用が崩壊し労働がギグに細分化されつつあるいま、資本主義は労働者とその社会再生産的なメインテナンスすら必要とせず、細切れにした労働だけをかすめ取る形態に移行している。男性労働者ですら人間ではなく黒字をもたらすための部品とみなされる現代、赤字をもたらすとされる女性が人間扱いされないのも当然で、単純に社会再生産労働への評価を高めようという議論では解決できない。
本書はこのほかにも主流派経済学が人間に関するいくつものフィクションによって成り立っており、そのなかで主に女性が担っている社会再生産労働が市場において無価値だとして扱われることが潤滑油のようにしてその矛盾を押し隠していることを指摘。フェミニスト経済学について重要なことを押さえており入門書としても良いと思う。