Marcie Bianco著「Breaking Free: The Lie of Equality and the Feminist Fight for Freedom」

Breaking Free

Marcie Bianco著「Breaking Free: The Lie of Equality and the Feminist Fight for Freedom

性別二元性と男性社会への順応を前提とした「平等主義フェミニズム」を否定し、自由を目指すフェミニズムを訴える本。

男女平等を訴えるフェミニズムは、その根本に「男性と女性は同じであり、同等に扱われるべき」という論理と「男性と女性は異なっており、その差異が配慮されるべき」という論理のあいだの矛盾を抱えるほか、男性と女性の二元性を前提とし、既存の社会構造のなかで女性を男性と同じように扱うよう要求することで社会構造を温存してしまっている、などさまざまな批判があり、また「平等」の名目が女性差別主義者によって「男性への逆差別に反対」といった形で濫用されることも多い。著者はそれらの理由で平等主義的なフェミニズムを否定し、それにかわって自由への指向に基づくフェミニズムを主張する。

しかし「自由と平等の対立」というフレーミングはむしろ保守派によってよく使われているもの。かれらによると平等と自由はトレードオフの関係にあり、たとえば差別を行う自由を認めると平等が脅かされ、平等を守るためにそれを禁じると自由が失われる。著者はもちろん「自由」の名目が「平等」と同じく保守派や差別主義者によって性差別や人種差別などを温存するために濫用されていることは認識していて、自分が訴えている自由とは他者との共生や関係性を前提としたものであり他者への配慮を拒否したり他者を支配しようとする自由とは異なる、と言っているが、分かりにくい。

具体的な例を見ても、たとえばコロナウイルス・パンデミックの最中にマスク着用を拒否する人たちが「わたしの体はわたしのもの」という妊娠中絶擁護の論理を流用したことについて、自分の行動によって周囲の人たちの健康を脅かすのは著者の言う自由ではない、周囲の人たちを尊重しかれらに与える影響に責任を持たなければいけない、と著者は言うのだけれど、妊娠中絶による胎児への影響に対する責任は否定する。また一部の政治家や有名人の白人が黒人や先住民のふりをして地位を築いたことが暴露されたいくつかの例を挙げ、人種や民族は個人だけでなく過去の先人たちや現在のコミュニティが経験してきた、経験していることに関係するから個人の自由で選ぶことはできない、と言う著者は、トランスジェンダー女性が女性というアイデンティティを選ぶことについては全面的に肯定し、それを疑う人たちを差別主義者として批判している。これらは絶対的な矛盾やダブルスタンダードだというわけではなく、きちんと説明することは可能だと思うのだけれど、その説明が十分になされないために、著者の言う「自由」が実際に何を意味しているのか分かりづらくなっている。

観念的になりがちなこうした議論に対して、著者自身の経験に基づいた部分は説得力がある。著者はレズビアンで、以前はトランスジェンダー女性やその他の「自分が思うところの女性としての共通経験を持たない」人たちに対して懐疑的なスタンスを取っていたが、ある時それは自身が女性であることに不満を感じていたことが原因だったと気づく。たとえば子どもの頃からスポーツで活躍し大学にもスポーツ推薦で進学した著者は、水泳選手だった当時自分の体が第二次性徴によって水泳に不利な形に変わっていくことに恐怖を覚えたり、生理痛の激しい著者はそれを経験したことがないトランスジェンダー女性や生理のない女性たちに敵愾心を抱いた。そうした自己嫌悪に基づいたトランスフォビアに向き合えたのは、自分がレズビアンであることを自覚し、男性と女性という対立構造からある程度距離を取ることができてからだった。モニク・ウィティグが言うように、異性愛主義社会において女性は男性との関係によってのみ定義され、したがってレズビアンは「女性」であることから自由になりうる。

男女平等を訴えるフェミニズムは、どこまでいっても男性と女性の関係性の中においてしか女性の自由を拡張できず、また既存の社会構造の中でしか女性の権利を確保できない。それに対して自由を中心的に指向するフェミニズムはそういった制約を受けず、男性との関係を通さずに女性やその他の性的・人種的ほかマイノリティの地位を向上するための運動を展開することができると著者。性的指向としての異性愛は個人の勝手だが、運動としてのフェミニズムは性別二元性や異性愛主義とは別の方向に向かうべきである、という著者は、アドリエンヌ・リッチラディカレズビアンズを引いて、女性が強制異性愛主義から逃れ男性との関係や比較ではなく女性そのものに関心を寄せるレズビアンフェミニズムの現代的再起を訴える。てかやっぱり「異性愛の悲劇」に繋がるのね…