Jane Ward著「The Tragedy of Heterosexuality」

The Tragedy of Heterosexuality

Jane Ward著「The Tragedy of Heterosexuality

女性学・ジェンダー学の研究者でレズビアンの著者がかわいそうなヘテロセクシュアル(異性愛者)たちを救おうとする本。2020年の本だけれど今まで読んでなかったの後悔してるくらい良い。

ヘテロセクシュアリティは悲劇である、と著者は言う。セクシュアリティやジェンダーの枠に閉じ込められ就職・結婚・出産&育児という世間に決められたスケジュールに沿った生き方を強いられるのはもちろん、異性愛者の女性が置かれた境遇は特に悲惨だ。酷い不平等や暴力の危険をデフォルトで家庭内に抱え、創造性の欠けたセックスと性役割を押し付けられたあげく不満を募らせセルフヘルプ本を読み漁る異性愛者女性たちの経験は、クィアたちには到底理解できない。異性愛者の中でも良心的な人たちは、生活に不便や不安を抱えたクィアたちのアライとしてクィアたちが異性愛者と同じように暮らせるように協力しようとしているけれども、アライの協力が必要なのはむしろ異性愛者たちではないか?暴力や差別は確かになくしてほしいが、クィアたちが異性愛者と同じように暮らしたいと思っているという異性愛者のエリート意識はどうかしているのでは?

むろんフェミニズムの浸透や近年のMeToo運動の高まりにより、異性愛文化のなかのミソジニーはより批判を浴びるようになっている。ヘテロセクシュアル研究の一環として著者は2010年代のピックアップ(ナンパ)カルチャーを研究してきたが、それによると冴えない男がナンパの技術をほかの男性たちに教えるセミナー(イケメンだと「お前がイケメンだから成功しただけだろ」と思われるので、冴えないナンパ師のほうが講師として売れる)はMeToo運動とそれに繋がったメディアの批判を受けてここ数年で一変したという。女性たちと会話するきっかけを掴み相手が断りにくい状況に追い込む、という従来型のナンパ講座ももちろん残っているけれども、むしろそうしたトリック的なアプローチを批判し、どのようにすれば女性の信頼を得られるのか、良い関係を築けるのか、という方法を教える講座が増えている。こうした事実はとても興味深いし、異性愛者男性の少なくとも一部のあいだでこうした意識改革が起きていることは異性愛者女性にとっても歓迎すべきことだが、それは「女性の生態」はこうだ、という認識に対応した新たな理想的「男性性」を生み出すことでもあり、男女の明快な区別と異性愛主義の不自由さは解消されない。

終盤には著者がネットで募った非公式なアンケートの結果が紹介されている。このアンケートで著者はクィアたちに対して「一般論として、あなたは異性愛者と一緒にいるよりクィアたちと一緒にいるほうが好きですか?」「異性愛者や異性愛文化について、変だと思ったり、不快に感じたり、悲しくなることはありますか?」という2つの質問をして、58人(28人の白人と30人の非白人)から回答を得たが、そのうち53人は両方の質問にイエスと答え、異性愛者や異性愛文化についての不満や疑問を回答した。これは決してクィアたち一般の意識についての科学的な調査ではないが、そこから延々と紹介される多数のクィアたちの回答には共感できるものが多く、これはすべての異性愛者が読むべきだと感じた。著者によれば最も多かった回答は「異性愛は退屈だ」というもので、ヴァレリー・ソラナスが「SCUM Manifesto」(ソラナス自身はSCUMはなにかの略語ではないと言ったが、Society for Cutting Up Men=「男性皆殺し協会」と訳されている)の一番最初の文が女性たちに革命と男性の破壊を呼びかける理由が「この社会において生が退屈だから」書かれている、という話に触れられていて、そう来るか!と感動した。

本書で一番衝撃を受けたのはしかし、ヘテロセクシュアリティの救済を訴える最終章。著者は「レズビアン」を単に女性を性的に欲望する女性という意味ではなく、ほかの女性や彼女たちとの繋がりを自分の人生や価値観の中心に置き、彼女たちを尊重する生き方や政治へのコミットメントである、と規定したレズビアンフェミニズムの伝統を引き、異性愛者の男性がそんなに女性が好きだというなら、なぜかれらはレズビアンフェミニズム同様に女性たちを尊重し、生き方や政治を通してコミットしないのか、と問う。異性愛者男性が女性を、性的対象やステータスシンボル、あるいは家事や育児を行ってくれる便利な道具としてではなく、本当の意味で愛することができる未来を、異性愛者たちは目指すべきではないのだろうか。

ヘテロセクシュアリティの救済というと、異性愛者たちがセクシュアリティやジェンダーに対してより柔軟になることや、さまざまな家族の形態や人生プランに寛容になることがまず思い浮かぶが、そうではなく「異性愛者の男性が女性をどう愛するか」をレズビアンフェミニストから学ぶべきだ、という主張は刺激的。異性愛の悲劇に正面から向き合いその解放を目指すすごい本だった。