Cidny Bullens著「Transelectric: My Life As a Cosmic Rock Star」

Transelectric

Cidny Bullens著「Transelectric: My Life As a Cosmic Rock Star

1970年代にエルトン・ジョンやロッド・スチュワートらのツアーや楽曲に参加するなどしてグラミー賞候補にもなったミュージシャンが、ロックスターを目指した若い時代から依存症とそこからの快復、ゲイ男性とのクィアな結婚や妊娠・出産を経て愛する娘を難病で亡くした経験や、62歳でトランス男性としてカミングアウトするまでを振り返る自叙伝。

子どものころから男の子っぽかった著者は、十代になると憧れのミック・ジャガーの外見を真似て、本人と間違えられたりミックの弟を自称したりするなど、早いうちから自分のことを男性だと認識していたけれど、当時トランス男性の存在はほとんど社会には認知されていなかったし、自分は何なのか図書館で調べて「トランスセクシュアル」の存在を知ったけれども手術するためには大金が必要なことを知って自分には生涯無理だと断念。ただちょうどその頃ヒッピーやロックンロールが登場して長髪の中性的な男性も増えてきたため、かれらに混じってミック・ジャガーのようなロックスターを目指す。

ロサンゼルスの音楽業界に出入りしてレコードデビューを目指すものの、自分が得意とする低音のボーカルや男性的な外見を変えるよう求められる日々。そのうちたまたまエルトン・ジョンと出会い、かれのツアーにバックアップボーカルとして参加することから音楽業界に居場所を見出していく。映画「グリース」の音楽では数曲でメインボーカルを担当してグラミー賞にノミネートされるなど注目を集めるも、やはり女性として売り出されることへの抵抗からその一歩先に進めず、アルコールや薬物への依存に苦しむ。気の合った男性の友人と結婚するも、かれは隠れゲイであり、バイセクシュアルだけれど主に女性が好きな著者とは行き違う。少ない回数のセックスで二人の娘を出産した著者は、嫌いだった出産する身体と子どもに授乳する胸がその時だけは受け入れられたという。

しかし下の娘が11歳で病死すると、その悲しみのなかふたたび音楽を書き始め、仲間のミュージシャンたちにも協力してもらい自費でリリース。こうして作り上げたアルバムが同じく病で子どもを失った親たちやコロラド州でおきたコロンバイン州銃乱射事件被害者の遺族たちの共感を受け、商業的にも発売。その後も音楽活動を続け、女性ミュージシャン二人とともに新たにバンドを結成するなどしたが、依存症の自助グループで知り合ったトランス男性との交流からついに自分も男性として生きることを決意。名前をシンディ(Cindy)からシドニー(Cidny)に変え、テストステロン注射をはじめたあと、ついに世間にもトランス男性としてカミングアウトしたのは2012年、62歳のときだった。

1950年生まれの著者に比べれば、いまの若いトランスの人たちはたくさんの情報にアクセスできるけれども、同時に反トランス的な言説やデマ情報などもネットや世間に氾濫し、多くの人たちが親や周囲の無理解に苦しんでいる。60歳代になるまでカミングアウトできなかった著者の経験は決して過去のものではないなあと思うと同時に、音楽業界の女性(とされる人)に対する扱いにも腹が立つ。