Christian Cooper著「Better Living Through Birding: Notes from a Black Man in the Natural World」

Better Living Through Birding

Christian Cooper著「Better Living Through Birding: Notes from a Black Man in the Natural World

ジョージ・フロイド氏がミネアポリス警察によって殺害された同日、ニューヨークで白人女性による虚偽の通報の対象となったことで「セントラルパークのバードウォッチャー」として有名になった黒人ゲイ男性の自叙伝。

著者はニューヨークの黒人中流家庭で育ったが、子どもの頃から自分がゲイであることを自覚し、周囲に溶け込めないでいた。そんなかれを救ったのは、父親から与えられた双眼鏡とかれの視力と知識を評価し受け入れてくれたバードウォッチャーのコミュニティ。またある年齢からはファンタジーやサイエンスフィクションに熱中。屋外でも屋内でもナードな趣味に打ち込むオタクとして生きることで、ゲイであることを周囲から隠した。そして勉強にも集中しハーヴァード大学に入学、寮で同室となった学生たちにもX-MEN(突然変異によってミュータントとして生まれた主人公たちが世間の偏見を浴びながらもコミュニティ作り活躍する、ゲイに刺さるテーマ)などコミックブックを布教して仲良くなり、カミングアウトにも成功する。

卒業した著者は出版業界で働くなか、マーベル・コミックへの就職機会を得て夢だったコミック業界へ。当時のマーベルは今ほど大きくなくコミック業界自体も一般の出版界より下に見られていたし、給料もランクも前職より落ちるため、家族には「ハーヴァードまで行ってなんでコミックブックを作るんだ」と落胆されるも、読者層には黒人も多いのに編集者は白人男性がほとんどを占めるコミック業界のなかで数少ない女性やほかの黒人たちに助けられながら力をつけていく。かれはマーベルで働くはじめてゲイであることを公言した編集者であり、メインキャラクターの一人がはじめてゲイとしてカミングアウトした作品に関わったり、どういうわけかマーベルが毎年出していた「水着特集」(もともと露出の多い女性ヒーローたちが水着を着た絵が載せられた冊子)の担当になると男性ヒーローと女性ヒーローを平等に扱いセクシーな描写をしてゲイコミュニティに衝撃を与えるとともに二年で水着特集そのものを廃止させてしまうなど、1990年代のコミックブックにおけるゲイ表象の一般化に貢献する。

いっぽう私生活でもニューヨーク周辺だけでなく海外まで出かけてバードウォッチングを続けるなか、アルゼンチンのゲイクラブで踊り明かしたり(ただし耳をやられたらバードウォッチングができなくなるので常に耳栓着用)、自然のなかに神秘を見出すスピリチュアリズムに目覚めてヒマラヤやオーストラリアのウルル(エアーズロック)、かれの祖先の出身地であると思われる西アフリカなどを周って現地の人たちと交流するなど、旅行記としてもおもしろい。各地でかれは、アメリカではあまりに当たり前でそういうものだと受け入れ意識すらしづらくなっている黒人に対する偏見や差別が必ずしも世界共通ではないこと、その一方でそれぞれの土地でユダヤ人だったりアジア人だったり異なる人たちがアメリカの黒人と同じように迫害されていることを知る。

著者の家族は自然への興味とともに、アメリカの黒人が置かれた社会的状況と戦う姿勢も身をもって教えてくれた。親とともに人種差別に抗議するデモなどに参加して育ったかれは、持っていた財布を銃と誤認した警察によって41発の銃弾を打ち込まれて殺されたギニア人移民のアマドゥ・ディアロ氏の事件や、車を運転中に警察に停車させられ礼儀正しくふるまい警察の指示に従っていたにも関わらず銃を取り出そうとしていると思われて婚約者と子どもたちの前で射殺されたフィランド・カスティール氏の事件などに強い影響を受け、黒人男性であるかれはどう避けようとしても警察に殺されるときは殺される、白人の言うとおりにしていても安全にはならない、と思うようになる。

そんなかれに起きたのが、2020年5月の有名な事件。コロナによるロックダウンで街から人出が減ったなか、例年より鳥の鳴き声がよく聞こえるセントラルパークにいつものようにバードウォッチングに出かけた著者は、犬をリードから外して自由に走らせている白人女性と出会う。人出が減ったことで犬にリードをつけずに散歩させる人が増えており、当然自由になった犬は鳥を見かけると追いかけてしまうので、かれはそういう人に出会うたびにそこがリード必須のエリアであることを説明し、リードを外して運動させたいなら近くにドッグパークがあることも説明していたのだが、スマホでやり取りを録画しはじめた著者に白人女性が過剰反応し、「大きな黒人男性に襲われている」と警察に虚偽通報。最終的に警察が来るまえに彼女が犬にリードをつけたので著者は録画を止め立ち去ったのだけれど、その動画をネットに載せると、同じ日にダーネラ・フレイジャーさんが録画したジョージ・フロイド氏殺害の動画とともにネットでバズりまくる。

ソーシャルメディアに詳しくなかった著者はそれでもどれだけの大事になっているのか理解できなかったけれど、全国に広がったブラック・ライヴズ・マター運動のプロテストのなかでジョージ・フロイド氏、ブリオナ・テイラー氏、アマード・アーバリー氏らの名前とともにかれの名前が叫ばれるのを聞いて絶句。たしかにかれは白人女性による虚偽通報によって命を脅かされたけれども、フロイド氏らと違ってかれはまだ生きている。声を挙げられない犠牲者たちの分まで生き延びた自分が声を挙げるべきだと考えた著者は、事件をきっかけに自分に与えられたプラットフォームを利用して一人の黒人ゲイ男性として発言をはじめる。いっぽうかれを通報した白人女性を起訴しようとする検察に対しては協力を拒否、彼女を罰することではなく彼女が警察を利用して気に入らない黒人を黙らせることができると思った社会的状況を変えることに力を注ぐべきだと訴えた。

事件で有名になったことで著者のもとには、全国から応じきれないほどの講演やメディア出演の依頼が舞い込むが、珍しい鳥が見られる地域・季節の土地への出張や、黒人たちにバードウォッチングの楽しさを伝えるための依頼を優先するあたり、オタクを貫いていて素晴らしい。オタクといえばDCコミックが2020年に開始した「Represent!」という差別と戦う実話をベースとした新しいグラフィックノベルのシリーズの第1号は「It’s a Bird」というスーパーマンを連想させるタイトルがつけられた、著者が自身の経験を元に書いたストーリー。少なくとも現時点ではキンドル版無償配布中。

ネットでバズって「セントラルパークのバードウォッチャー」として知られてしまった著者が、自分はそれだけではないんだ、とばかりに自分のセクシュアリティやスピリチュアリティや家族から受け継いだ人種差別との闘いについて語り、同時にバードウォッチングやコミックブックという自身の情熱を正しく布教しようとする、とんでもなくおもしろい本。十代のころオタク仲間と一緒にコミックブック・コンベンションに参加して、中二病的におもちゃの刀を買って帰宅途中、バスの中で仲間たちと悪ふざけをして刀で遊んでいて警察に囲まれたけど、「刀はちゃんと家までしまっておきなさい」と説教されただけで済んだ、という経験から、アマドゥ・ディアロ氏やフィランド・カスティール氏だって殺される必要はなかった、黒人だというだけで自動的に武装した危険人物みたいに扱わないことはできるはずだ、と希望を語る。

今週末にはナショナル・ジオグラフィックのチャンネルで著者が各地をめぐりバードウォッチングをするテレビ番組「Extraordinary Birder with Christian Cooper」がはじまるらしく、マーベルでゲイのヒーローが出てくるコミック作ったり経費で世界中を旅して趣味のバードウォッチングする番組に出演するってなにそれオタクにとっての夢の人生歩んでるじゃん!って思うけど、自分が与えられたプラットフォームを有効に使って世の中を良くしつつ自分も楽しもうとしているのがすごくカッコいい。