Cameron Abadi著「Climate Radicals: Why Our Environmental Politics Isn’t Working」

Climate Radicals

Cameron Abadi著「Climate Radicals: Why Our Environmental Politics Isn’t Working

過度な気候変動を阻止するための取り組みにおける民主主義の限界と、直接行動により改革を迫ろうとするドイツの若者たちの「過激な」運動とその挫折についての本。著者はベルリン在住の国際ジャーナリスト。

人類の経済活動を原因とした気候変動が事実かどうかという点から政治的な立場によって意見が分かれ陰謀論が巻き起こっているアメリカと異なり、ドイツでは気候変動の事実とその悪化により引き起こされる危機についての認識は広く共有されている。しかし、だからといって有効な対策が取られているかというとそうでもなく、一国で対策を取っても他国が追随しなければ自国が損をするだけであり、また他国が真摯に取り組むのであれば自国はなにもしなくてもそれにタダ乗りできるという典型的なフリーライダー問題が生じるなか、一国の政府が世界に率先して対策を取ることは難しい。

1970年代以降の反核運動を背景に生まれたドイツ緑の党は世界最大の環境政党であり、政党としてだけでなく市民運動の側面も維持している。しかしロシアのウクライナ侵攻の際、ロシア産の原油を禁輸するついでに代替エネルギーに転換すべきだという環境活動家らの声に反して、オラフ・シュルツ政権に参加していた緑の党は他国からの石油や天然ガスの輸入を拡大する方針を取った。ロシアの原油を置き換えられるかどうか不確かで必要なエネルギーを得られるには時間がかかると思われる代替エネルギーに国民の生活を賭けられない、というのは政権与党としてはまっとうな判断だと言えるが、このことは多くの人にとって、気候変動を民主主義のなかで解決する可能性を消し去ることにもなった。

ドイツの気候運動としては、主要な道路や交差点に座り込んで交通を麻痺させることで世間にメッセージを送ろうとする「最後の世代」や、グレタ・トゥーンベリに連帯して毎週金曜日に学校や職場をボイコットする運動、さらには炭鉱を占拠する運動や、美術館に展示されているアートにトマトスープを投げかけるなどの行動がある。かれらは自らの体を強力な接着剤で占拠対象に貼り付けるなどして警察による排除に抵抗し、気候変動についての訴えをニュースに乗せることには成功したが、しかし交通渋滞に巻き込まれた人やアートの価値を優先する人たちなどの反発も集めた。若い人たちをこうした行動に駆り立てるのは、気候変動が自分たちの将来を奪っているという実存的な危機感であり、過激な活動に身を投じることによって現状を改善しようとしているものの、それがうまくいかないと深刻な鬱や自殺念慮におそわれることも多く、若者たちのメンタルヘルスに大きな影を落としている。

本書の著者はこうした若者たちの行動に対し、心情的には共感的ではあるものの、政治的には否定的な立場。いっぽう著者は、アメリカでバイデン政権が「インフレ軽減法」として成立させた施策を評価している。「インフレ軽減法」はもともとバイデン政権によって「ビルド・バック・ベター法」として推進された史上最大規模の社会政策だったが、ジョー・マンチン上院議員が頓挫させたあと、かなり縮小して実現させた法律。「インフレ軽減法」では代替エネルギーの開発や普及に大規模な支援をする一方、従来の化石燃料産業にも資金提供する一貫性を欠いたバラ撒き政策で、炭鉱があるマンチン議員の選挙区に配慮した妥協の産物だが、著者は逆にそれを段階的なエネルギー代替を推し進めるのに必要な妥協であると擁護する。また、1.5度以下の気温上昇に留めるという国際的な合意はすでに実現不可能だとして、段階的な化石燃料からの脱却とともに気温上昇による弊害への対処を進めるべきだという。

民主主義にはそれ以上のものを求められないし、かといって直接行動を起こしても大して効果は期待できない、というどん詰まりを前提にすると、著者の言うことは現実的でもっともだという気がしてくるけど、そのどん詰まり自体が環境活動家たちが必死の活動をした結果として成り立っている均衡なのだとしたら、そんなに物わかりがいい民衆になりたくはないし、なってはいけないような気もする。