Benjamin H. Snyder著「Spy Plane: Inside Baltimore’s Surveillance Experiment」

Spy Plane

Benjamin H. Snyder著「Spy Plane: Inside Baltimore’s Surveillance Experiment

メリーランド州ボルティモアで犯罪の取り締まりや抑止を目的に試験的に導入された市全体をカバーする航空監視システムに深く密着した社会学者による報告。テクノロジーを使った監視システムの導入が静かに広がるなか、その経緯がこれほど詳しく報告されることは珍しく、注目されるべき重要な研究。

本書が取り上げる監視技術は、もともとイラクで米軍が自分たちに対する攻撃を防ぐために採用した現地住民に対する監視プログラム。複数の航空機で空からカメラを使って地域全域を録画し、コンピュータによって動いている車両や人を認識し、その追跡を可能にするもの。米軍に対してこうした技術を提供していたテック企業や米国内の警察にもこの技術を売り込むことを狙い、以前から主に黒人の住民を主な対象とした監視カメラの設置など監視技術の採用に積極的なボルティモア市警察に試験的導入をもちかける。

こうした監視技術の試験的導入はデータと実績の蓄積を目的とした企業によって市に金銭的負担がないか既存の予算のやりくりで対応できる形で提案されることが多く、その存在すら明かされず、民主的な議論を経ずに行われることが多い。たとえばKashmir Hill著「Your Face Belongs to Us: A Secretive Startup’s Quest to End Privacy as We Know It」で紹介されていた不特定多数の市民に対する顔認識システムや、ビッグデータを使って個人情報を結びつける監視システムを運用しているピーター・ティールのパランティアなども、そのような形で人々が知らないうちに試験導入され、いつの間にか捜査機関に組み込まれてきた。

しかし本書が扱っている技術に関しては、ボルティモア市と開発業者の双方が住民の支持を得ることを目指し、ほかに類を見ない透明性のあるプロセスで試験導入を行った。これはボルティモア市において過去の黒人住民に対する強盗や恐喝を含む暴力や違法な取り締まり、集中的な監視、犯罪の証拠のでっち上げや偽証、そして黒人地区における犯罪の意図的な放置などによって黒人住民たちの不満が高まっていることを背景に、この技術が住民を平等に扱うこと、これまで放置されていた黒人地区における犯罪の抑止に役立つことなどを説明することで、かれらの信頼を勝ち取ろうと考えたことによる。そうした透明性の一部として、著者は市警察が設置した監視センターに常時出入りしてその運用を観察することが認められた。

ここで扱われている監視技術は、複数の航空機を通して市全域を常に監視することで、特定の地域やその住民を狙い撃ちしないようにしている。またイラクで使われていたものと比べて解像度は意図的に下げられており、車はおおまかな大きさと色が分かる程度、人は人種や性別すら分からず個人の特定には使えないようになっており、建前上差別的な運用ができないようにされていた。もともとボルティモア市で採用されている監視カメラなど既存の監視技術は、黒人住民たちが住んでいる地域は無視し、黒人地区と白人地区の境目や商業地帯に多く設置されており、黒人地区で起きている犯罪は放置され警察に通報しても来てくれないのに、一歩そこを出たようとしたら監視され追い回されるという形で使われていたので、少なくない黒人の住民たちは空からの監視は現状からの改善だと考えた。また業者は本採用されたあとは地元の黒人を監視スタッフとして雇うことを約束し、この技術の使い方を学んだ人は軍や情報機関でのキャリアに進む機会もあると説明したため、若者の失業に悩む地域の黒人たちからの期待も集めた。

映り込んだ車や人の特定ができない解像度だとはいえ、市全域にわたって車や人を追跡できるというのは警察の捜査能力を格段に強化する。これまでの監視技術だと、監視カメラに映り込んだ人が次にまた別の監視カメラにたまたま映り込んでくれないと追跡できないし、車や服装を変えられたらそれも難しくなる。しかしこの技術だとその車や人を時間を巻き戻したり早送りしたりしながら追跡することができるため、たとえば犯行現場から逃走した車が遠く離れたガソリンスタンドで給油した場合、ガソリンスタンドの監視カメラによって誰が運転していたか特定することができる。車や人の移動を市全域において追跡することで、まったく違う現場で起きた事件とその容疑者を結びつけることができるようになるのだ。

こうして市警察や住民に売り込まれた新たな監視技術だが、実態は業者が宣伝するほど強力ではなく、車や人が大きな木の下を通過すると見失ってしまい間違って別の車や人を追跡してしまうなど、さまざまな問題が発生した。こうして生まれた誤認逮捕や冤罪は、イラクであれば米軍の力によってもみ消すなり間違った人を冤罪で処罰するなどゴリ押しできても、アメリカ市民に対しては通用しない。そのうち裁判によってこの監視技術による成果が違法捜査であるとして証拠不採用とされ、検察はそれらの刑事事件の起訴の取り消しに追い込まれた。少なくとも一件の事件において、警察は捜査に監視技術が使われたことを意図的に隠蔽し、別の手段で証拠を得たかのように偽って起訴を維持しようとしたが、著者が研究者の倫理としてその事実を明かすべきかどうか悩んでいるうちにその事件も起訴が取り消された。

こうした経緯を通して著者は、あらゆる市民のプライバシーが消滅するといった形で人々の危機感を煽るような監視技術反対論はかえって監視技術万能論を強化してしまい、人種的・階級的に偏った実際の被害から目を逸らしてしまうと警告する。また、主に黒人の住民が次から次へと試用運転される新たな監視テクノロジーの標的とされることを、監視テクノロジーによる被害とは別に「実験対象とされてしまう暴力」の被害として注目すべきだとする。その被害を受けたのは、誤認逮捕や冤罪によって人生を踏みにじられた人たちだけでなく、監視技術によって犯人が逮捕された、事件が解決した、と思わされた挙げ句、技術的な欠陥によって裁判が瓦解した結果、精神的にかき乱された犯罪被害者や被害者の家族や遺族たちも含まれる。こうした技術がきちんとした検証もされないまままずイラクの住民に向けられ、それに次いでアメリカの主に黒人たちに対して転用されるのは、誰が欠陥のある技術を改善するためのデータを取るための被検体として扱われているかという国籍や人種による序列化を示している。

こうしてボルティモア市ではこの技術の正式採用は見送られたが、この業者はここから警察に対してこの技術を売り込むことは難しいと判断し、新たなビジネスモデルを考案する。それは、地域の住民が身近で起きた犯罪などについて情報交換するソーシャルメディアアプリを利用している人たちと協力し、犯罪解決に繋がる情報を集めたあとで警察に提供することで、そうした情報の提供に賞金をかけている民間の犯罪防止団体から報酬を受け取るというもの。こうすることで警察は違法な捜査を行わずとも監視データを元とした証拠を得ることができ、犯罪は解決、業者も十分な利益を上げることができる。しかしそこには当初この業者が目指していた透明性はなく、民主主義による合意もチェックも介在しない。Byron Tau著「Means of Control: How the Hidden Alliance of Tech and Government Is Creating a New American Surveillance State」やChristopher Slobogin著「Virtual Searches: Regulating the Covert World of Technological Policing」にも書かれているように、政府が行えば違法捜査となる監視技術利用の民間へのアウトソースは一般化されており、うんざりする結末。

しかし普段は徹底的に隠匿され、ごくまれにジャーナリストたちによって事後的に明らかにされるこうした監視技術の試験導入が、その初期段階から内部に潜入した研究者によって詳しく分析されることはめったになく、そのさまざまな問題点、とくに試験導入によってデータとして扱われる住民たちへの実害について告発する本書は、ものすごく稀有な報告。アメリカでもなぜか全然注目されてないのだけど、広く読まれてほしい。