Asaf Elia-shalev著「Israel’s Black Panthers: The Radicals Who Punctured a Nation’s Founding Myth」
アメリカの同名団体からインスパイアされ、イスラエルのモロッコ系ユダヤ人たちが1970年代に設立させたイスラエルのブラック・パンサーズについての本。
全世界のユダヤ人が差別や抑圧から逃れ自由になれる国として1948年にパレスチナの地に建国されたイスラエルは、世界に散らばったユダヤ人たちの移民を積極的に受け入れたが、しかし実態はその人口の半分に満たないアシュケナージ(中欧・東欧系ユダヤ人)が政治や経済の実権を握り、肌の色が濃く人口の多数を占めるセファルディ(イベリア半島系ユダヤ人)やミズラヒ(中東・北アフリカ系ユダヤ人)が機会を得られず貧困にあえぐ階層社会でもあった。ブラック・パンサーズを設立したのも仕事が得られずストリートギャングのようなことをしていたモロッコ系ユダヤ人の若い男性たち。
かれらはアメリカの人種制度においては黒人とは分類されない外見だったが(アメリカの黒人と似た外見のエチオピア系ユダヤ人などもいるが、かれらは当時まだイスラエルにはほとんどいなかった)、すべてのユダヤ人が差別から自由になれる国という建前とかけ離れた現実に苦しんでいたかれらは、ニュースで知ったアメリカの黒人革命運動・ブラックパンサー党に強く共感した。アシュケナージたちが「黒い動物」という蔑称で呼ばれていたミズラヒの若者たちが自ら「黒いヒョウ」と名乗ったことは衝撃的で、アメリカのブラックパンサー党が暴力的な集団と認識されていたこともあり、大きな反響を呼んだ。
実際のところ、当時のかれらはブラックパンサー党についてそれほどよく知っていたわけでもなく、ブラックパンサー党のメンバーたちがマルクス主義を学んだり政府に代わる社会支援プログラムを実践していたことと比べると戦略的でもなかったが、ミズラヒたちが直面する貧困や差別の訴えは多くの人たちの共感を呼んだ。アシュケナージの支配層はイスラエルに人種的な階層が存在することは認めようとしなかったが、貧困や教育・職業面での格差の存在については大きな議論を呼び、与党である労働党の社会福祉政策に影響を与えた。イスラエルの支配層は、アメリカのブラックパンサー党とは異なりイスラエルのブラックパンサーズは選挙への参加や政府との歩み寄りを求めていると解釈した結果、ブラックパンサーズはゴルダ・メイアー首相がグループと面会を果たした一方、政府が送り込んだスパイが幹部の一人となったり、別の幹部が政府のコネで利権にあずかるなど政治的な未熟さも露呈した。
その後、ブラックパンサーズは(政府が仕掛けたものも含め)何度かの分裂や選挙への立候補を経て自然と解消していくが、そのうちにブラックパンサーズを支持するのはミズラヒたちではなくアシュケナージの左翼になっていき、ミズラヒの支持はユダヤ人の支配地拡大を主張する新たな右派政党リクードに流れていく。リベラルな社会福祉政策を通した弱者救済を推進したパンサーズや労働党から貧困層の支持が離れ、民族主義を扇動する右派政党が支持を集めるようになったイスラエルは、ある意味その後の世界を先取りしていたように見える。ほんとうにもう、どうしてこうなってしまったんだと。