
Terence Keel著「The Coroner’s Silence: Death Records and the Hidden Victims of Police Violence」
警察による逮捕・拘禁中や刑務所への収監中に亡くなった人たちの資料を取り寄せ分析することで、かれらの死の遠因となった社会的・経済的な抑圧や直接の契機となった警察や刑務官による暴力が検死官によって組織的に隠蔽されている事実を突きつける本。
アメリカでは同じ市民のなかでも黒人や北米先住民や障害者などは警察による暴力によって殺される確率が異常に高いことが知られているが、警察や刑務所に拘禁されている最中に亡くなり自殺や病死、あるいは「死因不明」として処理される人たちも同じく黒人や先住民や障害者が多い。多くの州では拘禁中に亡くなった人について検死官による死因解明が義務付けられているが、著者ら研究者たちが文書開示請求制度を通して検死報告を大量に集めて分析したところ、それらには一般の殺人事件や自殺の検死報告では見られないような強引な論理や根拠のない結論が書かれており、死因を解明するために必要な検査があえて行われなかったり結果が記述されていないことも多いという。
たとえば一般の検死報告では複数の死因が考えられどうしてもどちらか判断がつかないときに「死因不明」と表記されるが、警察や刑務所が関わるケースでは警察官や刑務官の行為が死因であるという結論は極力避けられる傾向にあり、まともに検査が行われないまま不明だとされたり、直接死因に関係がない事実(表現型として発現していない潜性遺伝のキャリアであることなど)がさも死因に関連しているかのように書かれたりする。またAisha M. Beliso-de Jesús著「Excited Delirium: Race, Police Violence, and the Invention of a Disease」でも指摘されているように、「興奮性せん妄(ExDS)」という、医学界では一般に認められていない、基本的に警察の報告書や警察によって殺された人の検死報告にしか登場しない架空の診断名が死因として書かれたりもする。
そもそも黒人や先住民や障害者は、差別や格差の影響によりさまざまな面で不利な状況に置かれ、健康を害されたり、Arline T. Geronimus著「Weathering: The Extraordinary Stress of Ordinary Life in an Unjust Society」が言うところのウェザリングにより寿命を奪われている。もともと差別や格差によって生命を脅かされている人たちが、警察や刑務所による直接的な暴力によって命を奪われたとき、「当人にはもともと健康上の不安があった、したがって死因は本人の持病である」という論理でそうした暴力が免罪される構図が作られているのは、不公正に不公正をかけ合わせたような話。
多くの地域では検死官(長)は郡ごとに選挙で選ばれる地位となっており、医師の資格のあるなしに関係なく警察官組合や刑務官組合の支持を得た候補が当選することが多い。しかし専門の医師であれば大丈夫なのかというとそうでもなく、著者は検死職の専門化が検死を科学的で客観的なものだという印象を広め、民主主義的なチェックから免れることを許してしまったことを指摘する。検死は客観的だという思い込みがあるからこそ、検死の現場に警察官が立ち会って事件や犠牲者について解説するなどの形でバイアスをかけることが許されてしまっている面があるし、地域によっては検死報告は情報開示制度の例外として第三者による検証が行えないようにされていたり、情報開示に厳しい条件をつけたり過剰な料金を請求するなどして、警察や刑務所による暴力の隠蔽に加担している。
本来ならば警察や刑務所によって殺された人たちの死因を解明しかれらの責任を問う助けとなるはずの検死官が、逆に警察官や刑務官らと結託し、かれらの犯罪を隠蔽するために医学を捻じ曲げている事実は、これまでにも多数の事件で指摘されてきたけれど、多数の検死報告を実際に収集して分析することでそれが一部の例外的なものでないことを示しているのが本書。警察や刑務所とともに検死官に対しても民主主義を通した市民によるチェックが必要なことが丁寧に示されている。