William J. Barber II著「White Poverty: How Exposing Myths About Race and Class Can Reconstruct American Democracy」
キング牧師がかつて掲げた道徳的刷新を受け継ぎ、ノースカロライナ州から全国に広まった聖職者を中心とした毎週月曜日の政治的抗議活動モラル・マンデーを指導し、またキング牧師が暗殺される直前に計画していた「貧者の行進」運動を他の人たちとともに復活させた黒人公民権活動家・キリスト教牧師が、白人の貧困について正面から語る本。
アメリカ社会、とくに白人のあいだでは貧困といえば黒人やラティーノのイメージがつきまとい、そのため公的保険や福祉の議論は「黒人への贈与」の是非として扱われがち。たしかに歴史的経緯によって生まれたさまざまな格差や現在も続く差別によって黒人のあいだの貧困は深刻だが、絶対数で見れば貧困にあえぐ白人は貧しい黒人よりずっと多い。また政府は貧困の定義を狭めがちだが、普段の生活はなんとかなっていても事故や病気、車の故障などによる400ドル(現在のレートで約6万円)の臨時出費に耐えられない層を含めればさらに貧しい白人の数は増える。
歴史的に見ると、貧しい白人と貧しい黒人が人種の垣根を超えて連帯したとき、人々の経済的な権利は拡大してきた。たとえば南北戦争のあとの南部に短期間生まれたリコンストラクションの時代には、奴隷制から解放された黒人たちが奴隷制の恩恵を受けて来なかった貧しい白人たちと協力して南部の民主化を推し進めた。それに対し奴隷制の実質的な復活を求める勢力は、貧しい白人たちに黒人は白人と競合し職や白人女性を奪う敵だと宣伝し、その連帯を断ち切ってきた。福祉によって救われる可能性がある白人が多い州ほど白人たちが福祉制度に反対する多いのは、貧困を黒人と結びつけ、福祉とは黒人への甘やかしだ、誰でも真面目に働けば成功できるはずだ、とする宣伝の蓄積によってもたらされてきた。
このように、現代のアメリカのおいて貧困と人種差別はただ単に黒人のほうが貧しい人の割合が高いという以上に深く繋がっており、その繋がりを断ち切り貧困の問題を解決するには、白人の貧困について正面から向き合うことが必要だと著者は訴える。それは貧困に人種間の経済格差の側面があることを無視するわけでも、黒人の貧困から目を逸らすわけでもなく、貧しい人たちが人種を超えて連帯するために必要なことだ。バーニー・サンダースの支持者の一部など、左派のなかには真の問題は経済格差でありそれを解決すれば人種やジェンダーなど文化的な問題は自然に解消すると考えている人も多いが、人種というファクターに向き合わない限り貧困の問題を解決することもできない。
晩年に人種の垣根を超えた「貧者の行進」運動を構想したキング牧師の理想を引き継ぎ、キング牧師を尊敬するならかれの死を記念するのではなくかれが落としたバトンを拾って次の走者まで届けるべきだと訴える著者は、公民権運動の現代の指導者の一人としてバイデン大統領をはじめとする政治家たちにも助言をする立場。福祉に否定的な政治家との面会に多くの白人を含む支持者や協力者らを引き連れていくと、黒人団体の代表だろうと軽く思っていた政治家は驚いた表情をするらしく、そんなやつが政治家なのが終わってるよなと思うのだけど、復活した「貧者の行進」運動はアメリカの希望だ。
ところで「貧者の行進」や「貧しい人たちの運動」を掲げると、貧しい白人たちは「自分のことを貧しいとは呼びたくない」と反発することが多い。これは貧困が黒人と結びつけられ、同時に自己努力をしない、福祉に依存している、といったネガティヴなイメージを持たれていることが原因であり、福祉拡充を目指す民主党の政治家たちも「貧しい人たち」ではなく「働く家族」「中流階層を目指す人たち」といった言い換えを使っているが、貧困が特定の人種に限った話ではなく、また個人の資質の問題ではなく社会的構造や政策の問題であるという認識を広めるためには、あえて貧困を貧困と名指しし続ける必要があるのかもしれない。