Veronica O. Davis著「Inclusive Transportation: A Manifesto for Repairing Divided Communities」
より包摂的な交通網の設計・設置に関わってきた市民工学者による本。各地の都市設計に参加した経験を踏まえ、著者は現在テキサス州ヒューストン市の交通局の局長を務めている。また著者は自転車を愛用する黒人女性のグループの創始者でもある。
アメリカの都市設計の歴史は、制度化された黒人差別と切り離せない。黒人人口の南部から全国の都市部への移動と公民権運動を通した黒人たちの権利獲得への反発から、20世紀中盤のアメリカでは都市部から郊外への白人の流出が起きる。税収を失った都市部の市民サービスが停滞する一方、人種差別や実質的に白人だけを対象とした持ち家推進政策などにより郊外化は進み、郊外に住む白人が仕事や娯楽のために車で都市部に通うことを前提とした都市設計が行われ、黒人たちが住んでいたコミュニティの多くで住民たちが高速道路設置のために立ち退きを強いられた。さらに時代が進むと、そうした政策上の理由により貧困が集中し市民サービスの乏しい都市中枢を再生させるという名目で新たな公的投資が行われ、それによって多くのそうした地域が白人たちにとっても魅力的な形に生まれ変わったけれども、その結果としてその地域に長く住んできた人たちが家賃高騰によって押し出されるジェントリフィケーションが進行する。
都市をそこに住む住民たちにとって魅力的な場所にするには、郊外から来る人たちのための高速道路や駐車場を整備するよりも、公共交通機関や自転車、徒歩で移動できる範囲に住居や職場だけでなく公園、学校、図書館、商店街、病院などさまざまなアメニティが設置されるのが望ましい。しかし同時に、駐車場を減らして自転車レーンを設置するなどの施策は、ジェントリフィケーションの結果であるだけでなくそれを後押しする原因の一つとして批判されることもある。自分たちが住民だったころは歩道もろくに整備されなかったのに、白人が住むようになったからといってどうして突然自転車レーンを作るのだ、と。著者が関わったある都市では、黒人コミュニティの中心に黒人教会が昔からあったが、ジェントリフィケーションによって次第に周囲の黒人たちが押し出され、黒人教会だけが残されたが、元近隣住民の黒人たちが毎週日曜日に礼拝のためにそこに集まることでコミュニティが続いている、という例があった。駐車場を減らしてより近所の住民たちにとって有益な施設を増やそう、というのは一般論としては良くても、こうした歴史的経緯を踏まえると問題も見えてくる。
市の政府は交通網整備に関して市民の声を聴くために公聴会を開くが、ただそうした場所を提供するだけではより時間やお金に余裕がある人、土地や不動産を所有していて都市設計が自分の財産価値に直結している人など、より恵まれた人たちの声ばかりを聞き取ってしまいかねない。また、過去にさまざまな形で政府によって約束を破られてきたコミュニティの人たちは、声を挙げても無意味だと参加しないかもしれない。形式的に市民が意見を言う場を提供するだけでなく、普段から多様なコミュニティの声を聞き関係を深めていく必要がある。また、同じ町のなかでも地域によって死亡事故が多い地域とそうでないものがあり、被害の多くが道路の設計や歩道や信号機の整備状況などにおいて歴史的に無視されてきた地域に集中しており、データで現れるそうした不均衡を是正していくところからまず手を付けなければいけない。交通行政に関わる人だけでなく、歴史的に交通行政に無視・軽視されてきたコミュニティの声を届けるためにも参考になる。