
Danny Funt著「Everybody Loses: The Tumultuous Rise of American Sports Gambling」
スポーツギャンブリングの合法化がスポーツや社会に与えている弊害についての詳細な報告。内容は昨年紹介したJonathan D. Cohen著「Losing Big: America’s Reckless Bet on Sports Gambling」に書かれていたこととも重なっているけれど、日本における新書的な扱いの「Losing Big」より広い話題が取り上げられている。
スポーツギャンブリングの合法化が進んだ背景には、税率を上げることなく税収を増やしたい政府に対してオンラインギャンブルに集客したい業者が擦り寄り法律を通してきたことがある。禁止したところでどうせスマホを使えばネットを通して海外のサイトでギャンブルに参加することはできるのだから、それよりは一定の規制をかけて公平性を担保しつつ、税収を確保した方が良いのではないか、というのは一見正論に見えるが、実際にはギャンブル依存やその他の問題を抑制するための有効な規制は行われず、ビッグデータやアルゴリズムを使ってあの手この手で一般消費者を依存させ散財させるためのデザインが横行してしまっている。
スポーツギャンブリング自体もかつてのようにどちらのチームが勝つか倍率を参考にしつつ賭けるといった単純なものではなくなり、勝敗ではなく点差にかける、分刻みのアクションにかけるといったイノベーションが進み、より早く、より頻繁に賭博の結果を生むタイプのギャンブルが登場した。かつてスポーツギャンブリングに抵抗していた大手スポーツリーグらも、ギャンブル業者に公式データをいち早く提供する見返りとして利益の分け前を受け取る契約を結んだ。その結果、競技のなかで思いがけない結果が出たりハプニングが起きたりすると選手や関係者が大穴狙いでなにかに賭けていたのだろうという疑惑に繋がり、また選手が指定どおりの行動を取るよう脅迫されたり、予想どおりの成績をおさめられなかった選手が暴力的な報復を受けることも。これはプロスポーツだけでなく学生スポーツにまで及んでおり、本書のはじめに書かれていた、護衛を雇えるほどの高級を得ている有名選手ならまだしも、学生スポーツの選手が賭博で負けた人に脅されて身を隠さなくてはいけなくなった事例など怖すぎだと思った。そういえば昔、ワールドカップでオウンゴールを決めてしまった選手が帰国後に何者かに射殺されたという事件があったけど、あれって絶対ただの行き過ぎたファンの暴走とかじゃなくて、賭博関係のやつだよね?
Natasha Dow Schll著「Addiction by Design: Machine Gambling in Las Vegas」はラスヴェガスでカジノだけでなく空港やホテルのロビー、食料品店など街中のあらゆるところに設置されたスロットマシーンが、利用者をギャンブル依存に陥らせ散財させるための行動心理学を応用して巧妙にデザインされていることを指摘しているが、あらゆる行動がデータとして残るオンライン賭博ではそうしたデザインをさらに洗練させ利用者を食い物にしている。賭博自体の是非といった倫理的な枠組みでは、アルゴリズムを駆使した捕食者的な業者による被害を押し留めることはできない。
ところが現実は本書に書かれているよりもさらに悪化していて、スポーツに限らず政治や社会のあらゆる事象を「予測市場」という口実で賭博の対象とするスマホアプリが人気を博し、暗号通貨による決済などによりさらに規制を逃れる形で拡大している。運営者による市場の操作が十分に抑止されないだけでなく、あらゆる事象が賭博の対象となるということはあらゆる事象がそこに影響を持つ特定の人たちによるインサイダー取引の疑いを生んでおり、実際の公平性や透明性が失われるだけでなく、人々が感じる公平感や透明感もスポーツ競技の公平さとともに劣化しつつある。かなり強権的な規制でもない限りアルゴリズムによる依存の促進と社会の不公正さの拡大を阻止することはできなさそうで、そのために必要な政治的意志がどこから生み出せるのか想像もできない。