Tony Cheng著「The Policing Machine: Enforcement, Endorsements, and the Illusion of Public Input」

The Policing Machine

Tony Cheng著「The Policing Machine: Enforcement, Endorsements, and the Illusion of Public Input

2014年に黒人男性エリック・ガーナー氏がニューヨーク市警察により道端で押し倒され首を絞められ窒息死した事件のあと、コミュニティとの信頼を回復するためという口実でニューヨーク市警察が行った「コミュニティとの対話・協力」がどのようにして警察の権力を増強し不公平を拡大したか暴く本。

ガーナー氏が殺害されたのはブラック・ライヴズ・マター運動がはじまった翌年であり、警察に対する抗議活動は全国に広まった。そういうなか、ニューヨーク市警察はコミュニティの信頼を取り戻すためと称して市内の細かい地域ごとにコミュニティ・カウンシルを設立し、地域の住民らと交流・対話を繰り返すようになる。また同様に、その地域のなかで指導的な立場にある教会の聖職者たちを集めた会合も繰り返した。社会学者である著者は、それらの会合に出席し参加者らを取材すると同時に、警察によって作られた構図の外側から警察の改革と責任追及を行う市民団体の人たちからも話を聞く。

相次ぐ黒人市民の殺害や暴力、人種差別的な取り締まりなどについて警察側では、それらはあくまで不幸なアクシデントや誤解であり、警察に対する理解や信頼の欠如が抗議活動に繋がったという認識を持っている。よって市民たちを集めて交流し、かれらの懸念や不満を聞き取り対応することで、警察と市民のあいだの信頼関係は回復できると考えている。しかし警察が主導するそうした会合に参加するのは、市民のなかでももともと警察に好意的な人たちがほとんどで、かれらが持っている不満のほとんどは、近所で起きている犯罪や騒音や違法駐車などの問題に警察はもっと迅速に対応しろ、というものだ。そして警察はそうした要求に対して、政治家や検察官が取り締まりを認めようとしないのが問題だからあいつらに圧力をかけろと答えたり、一見犯罪ではない近所のトラブルでもこういうふうに話を持ち込めば警察が動ける、といったアドバイスを行う。

こうしたコミュニティの会合では、警察が選んだ市民がリーダーとして任命されたり表彰を受けたりし、また逆に市民の名のもとで警察官たちが表彰されたりもする。これらの会合の多くは警察の建物など公共施設で開かれ、レストランなどから寄付された食事が振る舞われるが、そうした会合に食事を寄付するレストランが保健所によって衛生上の問題を指摘された際に警察が介入して罰金を逃れることができるなどの利益供与も。組織がイベントを開く際には公有地を使用する許可を申請しなくても警察官がやってきて交通整理を手伝ってくれたりするし(同日同時刻に別の場所で警察の暴力に対する抗議活動が行われていたら警察が飛んできて強制的に解散させられた)、リーダーとなった人たちや聖職者会議に参加する教会の関係者には警察幹部に直接連絡できるラインが作られ、警察とトラブルになったり違法駐車に悩まされたりしているときに電話すればすぐに対応してもらえる。また、ある程度の信頼関係を築けば、一般市民ではなかなか入手できないコミュニティの情報を警察から教えてもらえるメリットも大きい。

いっぽう、警察の責任追及をしている市民団体の人たちの多くは、こうした会議には参加しようとは思わないし、参加したくても過去の経験から警察の施設に入ることに恐怖感を感じていたり、入口で身分証明書を提示するのを嫌ったりする。またなかには実際に参加して警察による黒人への人種差別的な取り締まりや暴力について抗議しようとしても、発言の順番が不自然に後回しにされほとんどの参加者が退室したあとにされたり、それがどうして差別ではないか一方的に言われて時間終了になることが多い。たとえば警察官が黒人の若い人たちを前にしたとき、特に必要もないのに銃のホルスターに手を置いていることが多くの人たちに恐怖感を与えている、という意見に対して、警察はホルスターはただの装備でそこに手を置くのが一番楽だから当たり前だ、と説明するだけ。黒人たちが同じ理由でポケットに手を入れていると「銃を隠し持っている」と決めつけられいきなり射殺される事件が相次いでいるのに、警察官がホルスターに手を置いていることで恐怖を感じる黒人たちは「考えすぎ」だと言われてしまう。その日の会合の記録として残されたものを見ると、「警察官の装備について市民から質問があり、質問に答えた」とまとめられてしまっている。しかしそれでもまだ良いほうで、警察に不利な質問や意見は記録にすら残されないパターンが多い。会合でどれだけ問題を指摘しても、人種差別や暴力をなくすための改革に繋がることはまったくない。

ほかにもさまざまな形で、警察は「市民との交流・対話」を行うが、参加者を選別し、トピックを制限し、警察がどれだけ市民の声を聞いているかアピールするだけの結果となっている。またその過程で警察は豊富な予算や政治的影響力、そして何を取り締まり何を黙認するのかという多大な権限を使い、自分たちのイメージ向上に有用な市民たちに利益を与え、一緒に写真を撮ってソーシャルメディアで宣伝するなどして利用するとともに、そうした会合に参加しない、あるいは参加できないようにされてしまっている市民の運動を矮小化する。こうした会合を通して警察と親密な関係になり利益供与も受けたある黒人牧師は、警察の求めに応じて多くの黒人たちが人種差別的だと批判している取り締まり手法を支持する動画に出演したりもした。

民主主義において、警察組織は選挙によって選ばれた市長やその他の自治体の首長の下位にあり、首長や議会などを通して市民によるコントロールを受けるとされる。だから警察による不祥事や構造的な問題を警察自身が解決できないとき、政治がそれを是正する責任を負うし、その結果に対して市民が不満を持つなら選挙によって首長や議員を入れ替えることで警察組織を改革することができる(とされる)。しかし近年、ニューヨーク市警察だけでなく各地の警察組織は、自ら「市民の代表」を選別し、かれらの声を聞くという姿勢を見せることで、選挙を通して行使される市民の警察に対する制御を無効化し、警察が選んだ「市民」と首長や議員らを対立させ政治をも支配しようとしている。これは警察の民主化ではなく、民主主義の私物化だ。

わたしが直接知るシアトルやポートランドの政治でも、警察がコミュニティに介入し、市長や市議会に対する要望を市民を通して実現させようとするのは何度も見た。そういう会合に何度か参加したこともある。けど警察は小さな地域ごとにそうした会合をたくさん開いているので、予算もリソースもない市民運動の側がそれらを常に監視するのは難しいし、具体的にどういう利益供与が行われているのか知ることもまず無理。著者はいかにも無害な学生っぽくバックパックを背負いメモパッドにペンを走らせるパフォーマンスで(あとアジア系としてその場にいても空気になりがちなのも利用して)うまくいろいろな話を聞き取ったみたいで、偉大な功績だと思う。まあ結論として著者の言うとおり、警察が政府や第三者を通さずに直接市民の声を吸い上げるような仕組みは警察による権力拡大や利益誘導につながるので原則禁止したほうがいい。