Tamara Lanier著「From These Roots: My Fight with Harvard to Reclaim My Legacy」

From These Roots

Tamara Lanier著「From These Roots: My Fight with Harvard to Reclaim My Legacy

亡くなった母から語られた祖先の話を調べていたら、ハーヴァード大学との奴隷制度への責任と賠償をめぐる訴訟にまで発展してしまった黒人女性の手記。すごい。

著者の母は奴隷制の時代に生きていた彼女の祖父母や曽祖父母の話を著者に語り継ぎ、亡くなるまえにはいつかこの話をまとめて書き残してほしい、と希望した。彼女が伝える家族の物語の中で特に重要なのは、奴隷制の後期に西アフリカから連れてこられパパ・レンティと呼ばれた男性で、当時奴隷が文字を学ぶことすら厳しく処罰されていたにも関わらず教育の大切さを見抜き、自分や自分の子どもたちの学習を重視した。まだインターネット上で家系図を調べるのが今ほど簡単ではなかった時期、著者が家系を調べるのが得意な友人に頼んでこのパパ・レンティを探してみると、そこで見つかったのは著者自身と似たところのある風貌のパパ・レンティ本人のものとされる銀板写真の画像とそれを引用した学術論文。パパ・レンティはおそらく世界ではじめて写真の被写体となった黒人の1人だった。

パパ・レンティとかれの娘を含むその他何人かの黒人たちは、サウスカロライナのプランテーションで働く奴隷として半裸の状態で写真に写されていた。この写真を撮影させたのはスイス出身で当時ハーヴァード大学で教授を務めていた自然科学者のルイ・アガシ。アガシは生物学者や地質学者として輝かしい功績があり、ハーヴァード大学内の建物をはじめ世界各地のさまざまな場所に名前を残す人物だが、白人や黒人など異なる人種はそれぞれ別の起源を持つ別の種だという考えを持っていた。かれはサウスカロライナのプランテーションを訪れ、よりアフリカの血が濃いと考えられるアフリカ出身のパパ・レンティらの半裸の写真を撮影し、その身体的特徴をもって黒人が白人とは別の種である証拠とした。すなわちパパ・レンティたちは自分の意思と関係なく屈辱的な写真を撮影されただけでなく、そうして生み出された写真を奴隷制や白人至上主義の根拠として利用されたのであり、現代に続く黒人に対する人種的プロファイリングの最初の被害者だったとも言える。この当時、サウスカロライナでは奴隷制は続いていたが、ハーヴァード大学のあるマサチューセッツ州では既に廃止されており、地元であれば違法である人権侵害を行うためにアガシは南部に出向いたことになる。

パパ・レンティらが写された銀板写真の原本がハーヴァード大学のピーボディ博物館に保存されていることを知った著者は、自分がパパ・レンティの子孫だと考える根拠とともに博物館に連絡を入れ、銀板写真を見せてもらうことに。アガシは黒人が知的に欠如していることの例としてパパ・レンティらを挙げていたが、実際にはパパ・レンティは教育熱心な勉強家だったと伝えたかったし、この貴重な資料に関心を持つ研究者たちに自分が知っていることを共有したいと思っていたが、一応銀板写真は見せてもらえたもののそれ以外はとにかく冷たい対応で、なにかこの銀盤写真について動きがあったら連絡しますと言われて追い出された。

その後もハーヴァード大学はパパ・レンティらの写真を著者になんの連絡もないまま教科書の表紙やイベントの案内などで使い回す一方、アガシに批判的な展示やイベントに対しては写真の利用を拒否することで、アガシの名声を守ろうとし、著者の訴えについて記事にしようとしたメディアに対しては、黒人の家族の繋がりを示す公的な記録が残っていないのはアガシが似非科学を持ち出して正当化していた奴隷制のせいであることを無視して、「彼女がパパ・レンティの子孫だという証拠は何もない」と著者の存在を否定する。しかし著者はたくさんの人たちの協力を得て、パパ・レンティたちを所有していた元奴隷所有者の白人家庭を探し出し、黒人奴隷の所有権が遺産相続されている記録や埋葬記録などさまざまな資料を掘り起こすなどして、自分がパパ・レンティの子孫であることを証明していく。彼女が母から伝えられていた家族の歴史は、公的に認定されず、いつ別個に売買されたりして家族が引き離されるか分からない黒人たちが口伝で語り継いできたとは信じがたいほど正確だった。

そうするうちにもブラック・ライヴズ・マター運動が盛り上がり、Rachel L. Swarns著「The 272: The Families Who Were Enslaved and Sold to Build the American Catholic Church」で語られていたジョージタウン大学の例も含め、各地の大学が奴隷制の恩恵を受けていた事実が注目を集めるようになると、アメリカ最古の大学であるハーヴァード大学に対しても奴隷制に加担したりその恩恵を受けてきた歴史についての内省が求められるようになる。ハーヴァード大学は著名な歴史学者や黒人知識人を雇い、かれらに報告書を作成させたりイベントを開かせたりしたが、そのなかで大学はパパ・レンティの写真を奴隷制のシンボルとして使い、奴隷として酷使されたかれらの声を聞き取るよう研究を進めよう、とまとめながら、そのパパ・レンティの子孫である著者には連絡を取らず、彼女の家族が伝えてきた貴重な証言には一切関心を示さない。またアガシについても、かれが奴隷制と白人至上主義をどのように正当化したのかという具体的な関与は示さず、かれは偉大な研究者だったが当時の価値観にも縛られていた、とだけまとめた。

ハーヴァード大学によるこうした仕打ちに批判的な姿勢を強める著者の周囲には、ハーヴァード大学の学生や他学の研究者たちや、他の博物館の管理者たち、警察によって殺された黒人たちの遺族を支援する弁護士、ピーボディ博物館で埋もれていた銀板写真を発見したにも関わらず上司に調査を止められ休憩時間に調査を続けた元職員(故人)の夫、そしてアガシの子孫たちまでが集まり、ハーヴァード大学に対して銀板写真の原本と諸権利を引き渡すよう求める裁判が起こされる。写真はアガシによる犯罪的行為の結果としてハーヴァード大学の所有物となったのであり所有権が認められるべきではない、被害者であるパパ・レンティたちの子孫である著者こそにその権利が認められるべきだ、とする論理は、法的に前例がないが、奴隷制度によって黒人たちからかすみ取られた利益の返還を求める賠償請求運動の論理と重なることから、画期的な裁判として注目された。ハーヴァード大学は「写真の所有権は写真家にある」と主張したが、その写真家からどういう経緯でピーボディ博物館が写真を所有することになったのかという記録はなく、「子どもを性虐待した写真を取った人は、その写真の所有権から利益を得ることができるか」といった議論も起きた。

もとはなんの根拠もないと相手にもされなかった母の話を支える証拠が次々と繋がっていくミステリー要素もありつつ、奴隷制に関わった歴史を直視すると言いつつ現実の証言から目を逸らし歴史学者らを雇って自分たちに都合のいいナラティヴを流通させようとするハーヴァード大学の酷さが明らかにされるなど、とにかくものすごい本。読め。