Talia Lavin著「Wild Faith: How the Christian Right Is Taking Over America」

Wild Faith

Talia Lavin著「Wild Faith: How the Christian Right Is Taking Over America

白人至上主義や男性至上主義を掲げる極右運動に潜入した経験を「Culture Warlords: My Journey into the Dark Web of White Supremacy」に書いたユダヤ系クィア女性ジャーナリストによる二作目。アメリカ政治におけるキリスト教ナショナリズムの台頭を、その暴力性、差別性、そして陰謀論との親和性といった側面から分析する。

Philip S. Gorski & Samuel L. Perry著「The Flag and the Cross: White Christian Nationalism and the Threat to American Democracy」などが指摘するように、アメリカの政治に宗教右派が関わるようになったのは、公民権運動が広がるなか、教育における人種隔離を禁止した最高裁判決がきっかけ。人種隔離が認められないならと南部では多数の公立学校が廃止され、白人の子ども専用の私立学校がキリスト教会によって設立された。これらの「学校」の多くは資格のある教員も持たず、まともな教育も行われなかったが、それでも黒人の子どもと同じ学校に通わされるよりはマシだと考えられていた。しかし公民権法成立後、ジョンソン政権がこうした「学校」には公的な意義が認められないとして免税措置を撤廃しようとすると、「宗教的教育を行う自由を奪う行為であり信教の自由への侵害だ」として組織的な抵抗が広がる。

そのうち人種差別に対する世論が大きく変わるのにつれ、宗教右派は人種隔離を「信教の自由」として訴えることに限界を感じ、看板を「妊娠中絶反対」に付け替える。それまで妊娠中絶は主にカトリック教会が重視していた問題であり、アメリカで主流のプロテスタント宗派では妊娠中絶を問題視していなかったどころか、妊娠中絶の禁止を「カトリックによる信仰の押し付け」と批判し、合法化を訴えていたのだが、この時期にかれらは妊娠中絶を関心の中心に掲げるようになり、それから50年近くかけてトランプ政権においてついに妊娠中絶の憲法上の権利を消滅させたのはよく知られている通り。しかしこの政治運動がもともと人種隔離政策、すなわち黒人を白人から隔離し差別するために生まれたものであることは、のちにそれが移民やLGBTの人たちに対する過激なバッシングにつながる原点だと考えられる。

1980年代、フェミニズムに対するバックラッシュが広がるなか、働く女性たちが子どもを預ける託児所を舞台とした「悪魔崇拝者による組織的な性虐待」が騒がれたが、いまではそれは事実に基づかない一時的なパニックだと認識されている。しかし悪魔とその眷属の暗躍を現実の政治的脅威と考える宗教右派のあいだではパニックは終焉しておらず、民主党やハリウッドのエリートが子どもを性虐待してかれらの生き血を啜っているというQアノンの陰謀論や、ビル・ゲイツやファウチ博士らがコロナウイルスに対するワクチンと称して悪魔の数字である「666」を象徴するマイクロチップを人々の体に埋め込もうとしているとか、学校の教員や図書館員、医者らが子どもたちをグルーミングしてゲイやトランスジェンダーに仕立て上げようとしているというパニックに至るまで、延々と受け継がれている。エリートの権力やワクチン政策、教育や医療のあり方などそれ自体は議論されてしかるべきだが、相手は悪魔を崇拝する児童虐待者であり、やつらは狡猾で真実を巧妙に隠しているという決めつけが根底にあるため、事実に基づいた議論は行われず、根拠の乏しい陰謀論的なバッシングが横行している。

陰謀の主体としてロスチャイルド家やジョージ・ソロスらを名指しするなどヨーロッパにおいて伝統的な反ユダヤ主義的な陰謀論を受け継ぐ宗教右派が、イスラエル国家を全面的に支持しパレスチナ人らに対する人権侵害を擁護しているのは、キリスト教シオニズムの考え方に基づいている。この考えの聖書解釈によると、パレスチナにユダヤ人国家が復活して世界中のユダヤ人が集まり、周囲の異民族との全面戦争が起きたあと、イエスが再臨するとされている。イエスが再臨した際、ユダヤ人たちはイエスをキリストと認めてキリスト教に改宗するか、滅ぼされて地獄に送られるかという選択を迫られることになるが、ユダヤ人国家が周囲の異民族と対立し戦争が起きることはイエスが再臨するための前提条件であり、イエス再臨を待ち望む宗教右派がなによりも望むものだ。かれらにとって、ユダヤ人もパレスチナ人もイエスの再臨を早めるための舞台装置でしかなく。イスラエルの指導者たちも当然そのことは理解しているが、かれらのおかげでアメリカからの莫大な支援が受けられパレスチナ人に対する暴力を不問とされるのでお互い利用しあっており、結果として数しれない悲劇を現在進行系で生み出し続けている。

本書でもっとも衝撃的なのは、宗教右派を支持する福音派キリスト教文化のなかで、子どもに対する体罰が積極的に推奨されている事実を指摘し、それが宗教右派における権威主義的な指向を支えていることを論じる部分。神をトップとしてその下に男性、そしてそのさらに下に女子どもを位置づける福音派キリスト教的な価値観は、女性に対する暴力を蔓延させるだけでなく、親の、そして神の権威を子どもに叩き込むために暴力を使うことを肯定する。体罰をしてでも神に従うよう子どもを躾けろ、と解釈されている聖書の文言が印刷された、木材で作られた子どもを叩くためのパドルも販売されているし、体罰を肯定する宗教的な子育て本がベストセラーになっている。

躾としての体罰と身体的・性的虐待の区別は明確ではないし(釘の出た材木でお尻を叩かれたあと、怪我の手当と称して下着を剥かれたお尻に父親に手でクリームを塗られた、体罰よりも父にお尻を触りまくられたほうが辛かった、という体験談など)、仮に親がきちんと区別できていたとしても、権威のある大人に言われたら虐待されても声を挙げられない子どもを大量に生み出してしまう。#‌churchtooの運動が告発した教会内における多数の性虐待の背景にはこうした子育ての考え方がある。また、権威を叩き込むための暴力によって育てられた子どもたちの多くが大人になって権威主義的な政治を支持するようになることは、ナチスドイツの研究などによって明らかになっており、宗教右派を支持する人たちが決して敬虔な信仰者には見えないトランプを熱狂的に支持していることとも符合する。かれらは政策的利益を得るために宗教的な側面に目をつぶってトランプを応援しているのではなく、宗教的な背景があるからこそトランプの権威主義的なスタイルを支持しているのだ。

イスラエルによるジェノサイドと戦線拡大が進行し、トランプの復権をかけた大統領選挙が迫るなか、キリスト教ナショナリズムによる民主主義への脅威は最高潮に達している。極右運動に調べるうちに、取材対象の多くが子どものころ体罰を受けなおかつそれを肯定的に捉えている一方、福音派から離れた人たち、いわゆる「exvangelical」を自称する人たちの多くが体罰の経験を虐待だったと認識していることに気づいた著者はさすが。ちなみにアメリカは世界197カ国のうち国連「子どもの権利条約」に加盟していない唯一の国。もちろん加盟国では子どもの権利がきちんと守られているというわけではないものの、アメリカの条約加盟を妨げているのは、かつて教育における人種隔離を維持するために白人の親たちを組織化し、現在も「批判的人種理論」やトランスジェンダーの生徒の扱いをめぐって「親の権利」の擁護を掲げる宗教右派だ。