Susana Monsó著「Playing Possum: How Animals Understand Death」

Playing Possum

Susana Monsó著「Playing Possum: How Animals Understand Death

スペインの哲学者が、動物がどう「死」を理解しているかについて論じる本。スペイン語の原著は2021年刊で英語版は2024年。

タイトルの「playing possum」というのは「オポッサムの真似をする」という意味で、具体的には「死んだふり」のこと。なんで「オポッサム」と「ポッサム」が同じ動物を指す言葉なのか不思議だけどそれはともかくとして、南北アメリカ大陸に住む有袋類であるオポッサムは、危険を感じると舌を出して倒れて動かなくなるだけでなく、糞尿を撒き散らし、死んだと思った捕食者が油断した隙に逃げ出そうとすると言われている。また種族によっては死んで時間が経った死体を避ける傾向もありそうして見逃されることも。

オポッサムのこの行動は意識的なものではなく、危険を感じた時に自動的に起きる反射のようなものだとされており、オポッサム自身が死を理解したうえで「死んだふり」をしているわけではないが、それが通用する(そうした行動が進化した)ということは、捕食者の側が何らかの形で「死」を理解していることを意味する。もしオポッサムが死んでいると理解していなければ、捕食者の側に隙が生まれるはずもないからだ。

オポッサムの「死んだふり」行動に騙される捕食者だけでなく、死んだ仲間を惜しむような行動や、失った我が子の遺体に母親が執着しつつ諦める行動など、死を理解しているかのような行動を見せる動物は少なくない。しかしそこには、動物の行動を人間の行動様式や価値観に基づいて判断する、擬人主義(anthropomorphism)の危険が潜んでいる。ある動物の行動が人間から見て死を悼んでいるように見えたとしても、その動物にとっては全く異なる意味を持つ可能性があり、死を理解しているとは限らない。また、擬人主義の逆に、人間の知能や認知能力は他の動物とは一線を画しており、人間が経験するような複雑な感情や認知が動物に共有されているはずがない、という考え方(anthropectomy)もある。擬人主義を避けようとするばかりに、逆に動物が「死」を認識している可能性を閉じることもまた、人間中心主義的な誤謬となり得る。

そうした両極端な誤謬を避けつつ、動物が死をどう理解しているのか、理解できているのかを論じるため、著者は死の概念の最小定義を考える。人間の赤ちゃんは生まれつき死の概念を持っていないが、幼い子どもはその永続性を理解しておらず成長する中でそれを学んでいくことから分かるように、死の概念は「ある」か「ない」かの二択ではなくスペクトラムを形成している。「動物に死の概念はあるか」という問いに対して「死とは何か」から論じるあたりは哲学者あるあるだけど、そこから導き出される死の概念の最小定義は納得がいくものであり、具体的な動物研究をそれに当てはめていく議論に説得力を与えている。

動物倫理の議論では、動物に苦痛を与えることは悪だが動物を殺すこと自体は悪ではない、なぜなら動物には未来の死を恐れたり将来を展望する知性がないからだ、と主張する人がいて、倫理的な食肉畜産の論拠となっていたりするが、動物が死をどう理解しているかはそうした議論にも関係してくる。かわいいオポッサムのかわいい死んだふりから出発し、最新の研究にも触れつつ、チンパンジーなど人類に近い種だけでなく他の多くの動物にも死の概念があることを示していく内容。