Stuart Cosgrove著「Cassius X: A Legend in the Making」
1963年から1964年にかけて、プロボクサーのカシアス・クレイがモハメド・アリに改名する一年間を追った本。モハメド・アリの伝記はすでにいくつも出ているけれど、この本はかれがネーション・オブ・イスラム(NOI)に関心を持ち、当時NOIの指導者だったマルコムXに指導の元、教義に従ってプライベートでは「カシアスX」を名乗りつつも、公にはカシアス・クレイとして活躍していた一年を集中的に取り上げている。当時の主流メディアでは、かねてから毒舌や自己プロデュースで世間を驚かせることで知られていたアリが突然NOIへの入信と改名を発表したかのように扱われたけれど、実際にはこの本に取り上げられた一年のうちに段階を経てかれの信仰とブラックナショナリズムへの傾倒が形作られたことがわかる。
本書ではさらに、ピッグス湾事件を失敗させたマイアミの亡命キューバ人コミュニティの動向や、南部を中心としてゴスペルから枝分かれして発展しつつあったソウルミュージック、ボクシング界へのマフィアの影響とそれを排除しようとしたロバート・ケネディ司法長官らの争い、そしてNOI内におけるマルコムXの追放劇や、テキサス州で起きたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件など、当時フロリダ州マイアミを拠点としていたアリの周辺で起きていたさまざまな文化的・政治的な状況が交差し、それらがアリの行動にどう影響を与えたかが明らかにされる。著者はジャーナリストとしてさまざまな分野を扱っているがソウルミュージックについて詳しく、音楽界との関わりについて書かれた部分(アリはエンターテイナー志向が強く、レコードも出している)は読み応えがある。また、はじめはマルコムXとの交流からNOIに入信したアリが、内部対立が広がるなかNOI指導層からマルコムXとの交流を禁じられ、ついにかれと和解することはなかったが、アリ自身ものちにマルコムXを追うようにNOIから伝統的イスラム教に改宗しているだけに、マルコムXが若くして暗殺され二人が和解できなかったことが残念。