Sarah Conly著「The Limits of Liberty」
教条的な自由主義に対する批判の本。著者は過去の著作「Against Autonomy: Justifying Coercive Paternalism」や「One Child: Do We Have a Right to More?」などでも自己決定権を否定し強制的なパターナリズム(善導主義)や出産抑制政策を正当化する議論を繰り返しているヤバめの哲学者。
現代の人たちは、自由とはそれ自体が尊いものだと考えがちだ。自由を行使した結果、人々が幸せになれるとは限らないが、それでも自由は制限されるべきではない。もし仮に自由に対する制限が許容されるとすると、それはある人の自由が他人の自由と衝突する場合だけであり、お互いの自由を最大化するために必要最低限なだけ自由を制限することが認められる。著者はこのような自由そのものに価値を見出す考え方を、お金を便利な道具としてではなくそれ自体に価値があると誤解して、大切な家族や健康を犠牲にしてひたすらお金を貯めようとするのと同じ、愚かな間違いに陥っていると主張する。いや、ただそう主張するだけでなく、現実に人々が自由に対するさまざまな制限を支持し、受け入れていることを指摘することで、人々は実際には自由そのものに価値を認めているのではなく、自分は自由そのものが尊いと考えているのだと思い込んでいるだけだと喝破する。
自由それ自体に価値がないのだとすると、自由はそれが人々の幸せや社会の安定や繁栄など価値のあることに寄与する限りにおいて尊重されるべきだという考え方が導き出される。そしてなにがそうした社会的な善に寄与するかは、時代や社会状況によって変化するので、常に一定の自由が守られるべきだという考えは成り立たない。とくに著者は、気候変動や資源の枯渇など地球規模の環境問題が深刻化するなか、肉食や出産の抑制が必要だとして、これらの面における人々の自己決定権を力強く否定する。
人口増加の問題についてはDean Spears & Michael Geruso著「After the Spike: Population, Progress, and the Case for People」のようにいずれ自然に収束し、むしろピークを超えたあとの急激な人口縮小が問題だとする議論もあり、出生率を1まで減らすべきだという著者の主張は行き過ぎだと思うし、気候変動を最も少ないコストで食い留めるには肉食の厳しい規制か禁止が有効だという議論では美味しい食事をすることによる満足の減少がコスト計算に含まれていないあたりに疑問を感じることもあるけど、だいたい正しいことを言っているけれど結論が受け入れがたい、というのは哲学者の議論としては成功している。
と同時に、仮に彼女の意見が支持を広げたところで実際には肉食禁止とまでは行かず、金持ちは好きなだけ肉食を続けられるけれど一般庶民は大豆でも食ってろみたいな不平等が拡大しそうだったり、出産抑制政策によって優生主義や女性のリプロダクティゔ・ライツの侵害がさらに進みそうだという不安もある。論理的に正しいことを正しくない社会でそのまま実現させようとしても、結果は必ずしも正しくないということは覚えておきたい。